さよなら、片想い
「なんでもない時間を噛みしめていただけ。会うと、時間があればあるなりに、なければないなりに予定を詰めこんでいたなあ、って」

 明日も仕事だから早く帰ろうとか、泊まっていけるからご飯作ってお酒飲んで映画も観ようとか、岸さんの言うとおりだった。

 私たちは毎日会えるわけではない。
 ましてやこの一月近くは、会うのを控えながら自分の時間を充実させていた。
 私は寂しさだけに向かいそうになるのを上手にコントロールする術を覚えた。

「香水かなにかつけてる?」

「いえ。選び方わかんないし」


 汗をかいたから普段気にならない匂いでもしているのかと、焦りだした私に、岸さんは構わず鼻を近づけ、すんと嗅いでいる。

「柑橘系の、なにか」

 柑橘系。そのフレーズに気を取られているうちにキスをされる。ああそれはたぶん、と言い掛けた口をまたキスで塞がれる。私に全部を言わせる気はないようだ。

 肩を抱いて私の唇を好きなように文字通り味わい尽くしてから、

「レモネードだ。結衣ちゃんの飲んでる」

「普通に聞けばいいのにそのやりかたはどうなの」

 私だけが顔を熱くし、岸さんは口笛でも吹きそうな涼しげな顔つきだ。

「してほしそうな顔に見えた。俺の勘違いだったか」

「私のせいだと?」

 いや、と岸さんは緩く首を振った。

「君を好きな俺のせい。かわいいなと思っちゃって。末期だろうか」

「怒るに怒れないじゃん」

 抱きつきたい衝動を逃がすため、私はレモネードで喉を潤した。

「岸さんの言うとおりだよ。キスしてくれたら嬉しいから」

「やめて」
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