センチメンタル・ファンファーレ
早春の冷気は厳しいので、ランニングにふさわしくないほどもこもこに着替えて、結は家を出る。
「行ってきまぁす」
声に共鳴するように、ドアはダルそうに閉まる。
「はい。行ってらっしゃーい」
笑顔で見送っていたら、閉まったはずのドアがふたたび開いた。
「もう一回言って」
「……行ってらっしゃい?」
いつも私が見送られる立場なので、見送ってもらうのが嬉しいらしく、結は満面の笑みで身をよじった。
「俺、今なら三途の川の向こうまで走れるかも!」
力強く親指を立てて不穏なセリフを吐き、今度こそ出掛けて行った。
「不審者に間違われないようにねー」
ベランダに出ると、予想より冷たい風が髪の毛を巻き上げた。
二の腕をさすって摩擦熱を起こしながら待っていたら、もこもこのスタイルで走っている結が見えた。
私が見ているなんて知らない結は振り向かず、淡々としたペースで走って行って見えなくなった。
あの人の愚痴は嫌いじゃない。
あれが新たなスタートを切るための儀式だってわかるから。
何百局負けても新鮮に悔しがれるのは、愛だと思う。
いつか、何をやっても勝てなくなる日がくる。
そのとき本当の泣き言を言うかもしれない。
何も言わず微笑むかもしれない。
できるなら、その痛みに寄り添っていたいと思う。
「ううう、寒ーい」
帰ってくるまで一時間。
お風呂を洗ってお湯を溜めて。
きっとコンビニでお土産を買ってくるから、熱いコーヒーも用意して。
「おかえりなさい」と言う準備をしていよう。
end