センチメンタル・ファンファーレ
「それで『彼氏がいる』って言ったの? 別れたって言ってなかった?」
「タイミング悪いよね」
生きる道が違ってしまい、どうにもならずに別れた元彼に恨みはなかったけれど、別れがあと四ヶ月遅かったら、と今さらながらに思う。
「彼氏がいる」と言っておけば収まると思ったのに、
『わあ! おめでとう! よかったね~。実はずっと心配してたんだ。私のせいで弥哉はずっとひとりなんじゃないかなって。それなのに私だけ幸せになるのが申し訳なくって……。ねえ、二次会にその彼氏も連れて来てよ! 杏璃も彼氏と来るって言ってたし!』
要所要所気になる発言はあるものの、心から喜んでくれる明依に、つい「わかった」と言ってしまった。
どうしたものかと悩みながら歩いていたら、折よくくたくたの後ろ姿を見つけて、ここへ引っ張ってきたのだった。
「だからね、本当に形だけでいいの! お願いします! 一緒に二次会に行ってください!」
拝む私の頭の上で、水道をきゅっとひねる音がした。
「友達の彼氏を奪っておいて罪悪感あるなら、招待しなきゃいいのに」
珍しく鋭い声に、お願いしたことを少し後悔し始めていた。
けれど、言ってしまったからにはなかなか引っ込みがつかない。
「仲間うちで私だけ招待しない気遣いって、それはそれで微妙だよ」
「だからって偽彼氏用意するなんて、その子の気持ちが楽になるだけでしょ? 弥哉ちゃんにメリットなくない?」
「そう言わないで。いい人たちなんだから。幸せになってほしい気持ちは本当なの」
速人にだって感謝してる。
できるなら私の見えないところで幸せになってほしかったけれど、それは仕方ない。
ピッと滴が顔にかかり、びっくりして身体が跳ねた。
川奈さんが指で弾いて水を飛ばしてきたらしい。
「もうー、汚い!」
手の甲で拭いながら抗議したけれど、川奈さんは平然とハンカチで手を拭いていた。
「弥哉ちゃんって、結構お人好しだね。他人のために損しても、神様は見てないよ?」
「そんな善意じゃないよ。もう、なんか面倒くさいの。いちいち気にせず楽しいお酒が飲みたいじゃない」
私だって疎遠になりつつある友人たちと旧交をあたためたい。
今後も何かの集まりで顔を合わせるなら、早いところ雑事を片付けたいというのが本音だった。
「なんで俺なの」
「川奈さんってちょうどいいなって思ったの。ほら、中身はともかくパッと見はいい人そうに見えるじゃない? しかも『いい人そう』って以外に特に突っ込みどころもないし。……わっ! やめてよ!」
ふたたび私に滴が降りかかる。
さっき手を拭いたくせに、わざわざ濡らしたらしい。
「人にものを頼むなら、もう少しおだてて持ち上げなよ」
ハンカチで顔を拭き拭き、それでも私は訂正しなかった。
「俺に彼女がいるかも、とか考えないの?」
「え? いるの?」
ミントグリーンがよぎった頭を、今度はハンカチで叩かれた。
「今はたまたまいないけど、普通はまず確認するでしょ!」
川奈さんなら「いいよ、別に」とかんたんに引き受けてくれるかと思ったのに、今日はなんだか機嫌が悪い。
ミカンに種はない、と安心しきって食べたら、種を噛んでしまったような苦味を感じる。
席に戻る川奈さんの背中が、いつもより少し遠く思えた。