センチメンタル・ファンファーレ

川奈さんは大きく深呼吸してから、コーヒーをひと口飲んだ。
笑いを収めて、今度は真剣な面持ちで言う。

「あのさ、その“彼氏”って、一日だけなの?」

風向きの変化に気づいて、私はしがみつくように強くうなずいた。

「そう。一日だけでいい。それから、タダとは言いません。付き合ってくれたら、お礼に何かごちそうします。物でもいい」

「え? 本当に?」

突然アンブレラツリーの鉢の陰から声が聞こえて、私と川奈さんは同時に振り返った。

「すみません。面白そうなので盗み聞きしてました」

「あああの……ど、どちら様ですか?」

驚きで震えながら尋ねると、

「はじめまして。白取です。将棋の棋士をしています」

と、ぬけぬけとさわやかな笑顔を向けてきた。
川奈さんに視線を向けると、重々しくうなずく。

「白取くん、なんでここにいるの?」

「川奈さんが女の子と仲良さげに歩いてたから、後をつけてきた」

白取さんは物怖じしない性格らしく、自分のカップを持って川奈さんの隣の席に移動してきた。
せがまれて泰弘の画像を見せると爆笑してから、「俺、やりますよ」とあっさり言う。

「お礼してもらえるんですよね?」

「……何ですか? いきなり」

「俺ね、これ欲しいんですよ」

白取さんは自身のスマホを操作して、ネットショッピングサイトの画像を私に見せる。

「この電子メモ、ずっと狙ってて。文書作成するだけならメモ機能だけて十分だし、パソコンと違って小さくて軽いから移動に便利なんですよね。今執筆の依頼がきてるので欲しいなって」

販売員かのように電子メモの機能について語る彼の声より、私はそこにある値段に釘付けになっていた。

「35,995円……」

「さすがに全額なんて言いません。半額で手を打ちましょう」

「17,000円?」

「17,998円」

端数切り上げで要求された額は、川奈さんにご馳走しようと考えていた値段の、ほぼ倍だった。

「でも、白取さんイケメンすぎるんですよね」

「それ、マイナス要素ですか?」

立って並んだら川奈さんより頭半分は高い位置にあるだろう整った顔が、不思議そうにかしげられる。

「周りが興味持っちゃいます。『どっちから付き合おうって言ったの?』とか『弥哉のどこが好き?』とか質問攻めに合いそう。あとで『別れた』って言っても根掘り葉掘り突っ込まれるに決まってる。面倒臭いです。その点、川奈さんなら誰も興味持たない……いやっ! もう!」

飛んできたハンカチが頭に乗った。
すぐさま投げ返しても、あっさりキャッチされる。
濡れた手を拭いたばかりだったので、ちょっと湿った感触が手に残った。
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