センチメンタル・ファンファーレ
「笑ったときの八重歯がかわいくて、俺から強引に押し切りました」
「は?」
白取さんは突然私の頭に触れ、長くて細い指先ですくように、乱れた髪の毛を直す。
「こういう、素直な反応もかわいいです」
眉間に皺を寄せてみても、かすめるように触れられた頬っぺたは熱くなっていた。
「……という感じで、わかりやすく幸せ感を演出しますよ?」
強烈なプレゼンから切り替えた白取さんは非常にドライで、私は浅くなっていた呼吸をこっそり整えた。
「そういうことしてると、深瀬さんに殺されるよ」
「なんで深瀬さん?」
「弥哉ちゃんは深瀬さんの妹さん」
白取さんはまじまじと私の顔を見て、「全然似てませんね」と感心したように言う。
「まあ、そのくらいのリスクは仕方ないです。背に腹は代えられませんから」
「白取さんって、お金に困ってるんですか?」
「車が趣味で、収入のほとんどが消えていきます。最近新車買ったから、ローンがね」
「勝てばいいでしょ」
吐き捨てるように川奈さんが言ったのを、白取さんはうろんな目で退ける。
「そう言ってかんたんに勝てるなら苦労しないでしょう。じゃあ川奈さん、早くタイトル取ってみせてよ」
川奈さんが口に運んだグラスの中で、コロンと氷だけが返事をする。
「でも白取さん、彼女さんが嫌がるでしょ?」
「大丈夫です。彼女いないんで」
「えー、意外」
横を向いて、アンブレラツリーの葉を指先で突っついていた川奈さんが、
「“彼女”はいないだけ」
と強調する。
「それもまあ……大丈夫です」
白取さんの返答は少し不穏なものに変わったけれど、鉄壁の笑顔は変わらない。
「川奈さん……」
もう一度すがってみたけれど、何が楽しいのか葉っぱと戯れることをやめない。
「事前準備も頑張りますし、いい車に乗れるというオプション付きです。これで17,998円。いかがですか?」
みんな家路についたのか、店内はさっきより物寂しくなっていた。
大きなウィンドウから見える空はどよんと濁った鈍色で、西の端だけチークブラシでひと刷毛したようにぼうっと赤みがかっている。
夜と雨がやってくる前にそろそろ帰りたい。
「……わかりました。よろしくお願いします」
「ありがとうございます」
ディスプレイに浮かんだ白取さんの連絡先は、馴染みの悪いコンシーラーみたいに、白々しく浮いて見えた。
「この情報、売れそうですね」
将棋ファンを探せば、札束を積んでも欲しがる人はゴロゴロ見つかるはずだ。
分不相応なものを手にしてしまい「私なんかがスミマセン」と、どこかの誰かに謝罪する。
「売れたら七割は俺にくださいよ」
真面目な顔でそう告げて、白取さんは「じゃ、俺はこれで失礼します」と、踊るような足取りで帰って行った。
「よかったね。かっこいい“彼氏”ができて」
いつもより表情のない川奈さんの声に、深いため息をかぶせた。
「そうだよね。そうなんだけどな」
懸念していた問題は片付きそうなのに、なんだか余計な問題を抱えてしまったような……。
頬杖をついた目線の先では、ウィンドウに雨粒が細い線を描き始めていた。