センチメンタル・ファンファーレ
ちなちゃん二個、お兄ちゃん三個、私二個、川奈さん三個。
結局春巻きはちょうどいい量に収まった。
「そこのスーパーで買い物してたら、たまたま深瀬さんを発見してね」
お兄ちゃんのグラスに川奈さんはビールを注ぎ足そうとしたけれど、お兄ちゃんはその缶を奪って手酌で注ぐ。
勢いよくやり過ぎたせいで、泡がテーブルに溢れた。
「お前たち、早く引っ越せ。この辺りは危ないヤツらがうろうろしてる」
布巾を受け取ってテーブルを拭くと、また半分ほど飲む。
「言われなくても引っ越すよ、私は。弥哉はわかんないけど」
「弥哉、まさかここに残るのか?」
一度川奈さんを見て、お兄ちゃんが顔を歪める。
「ひとりだと家賃高いから、引っ越さないと、とは思ってる。あ、ごめん。川奈さん来ると思ってなかったから、スープにトマト入れちゃった」
一度置いたスープボウルを下げようとすると、笑顔でそれを押さえた。
「大丈夫。いただきます」
川奈さんはリキュールとジュースとたくさんのアイスクリームも買ってきてくれた。
適当に作ったカクテルを割り箸でぐるぐるかき混ぜながら、進んでいない部屋探しにため息が出た。
「探すなら将棋会館からできるだけ遠い安全なところで探せよ」
「棋士なんてウロウロしてたって関係ないよ。気づかないもん。地味だから」
「そんなことない。白取とか」
川奈さんが春巻きをくわえたまま、チラッと視線を向けてきた。
私はそれから目をそむけ、姉と兄にわからないように小さく首を横に振る。
「白取さんは例外でしょ。あんな棋士ほとんどいないじゃない」
「まあ、そうだけど」
相手が縁くんであろうとなかろうと、彼氏の代役を頼んだなんて情けない話はしたくない。
「文句ばっかり言うなら、望が弥哉の部屋と彼氏を探してあげればいいじゃない。ねえ、今の竜王って誰? 独身?」
「……ちなちゃん、私を売り飛ばす気?」
お兄ちゃんは春雨サラダをラーメンみたいにすすってから、ケラケラ笑う。
「竜王は市川さんだけど、弥哉では無理無理。すげー美人の彼女いるから」
「お兄ちゃんに言われたくないよ! 何年も彼女いないくせに!」
お兄ちゃんの恋愛事情なんて知らないけれど、おおよそそんな感じだろうと当て推量で言ってみた。
否定しないから事実らしい。
「弥哉ちゃんが無理とは思わないけど、市川さん、結婚するらしいよ。あとお金持ってそうな独身棋士って誰かな。有坂さんも最近彼女できたって言ってたし。手島さんって、今独身じゃなかった?」
「棋士としては尊敬してるけど、妹に四十代バツ2を勧めるなよ」
川奈さんはどういうつもりで次々棋士の名前を挙げているのだろう。
甘いはずのカクテルは、アルコールの苦味ばかりが気になる。
「先物買いなら折笠さんか浅井くんだけど……」
「折笠さん、俺苦手。浅井くんはイケメンだし、礼儀正しいし、文句ないんだけど、関西所属だからツテがないな」
口の悪いお兄ちゃんが絶賛する棋士は珍しい。
川奈さんも強く同意を示す。
「序盤の安定感、中盤のまとめ方、終盤のキレ味。どれも一級品だね。それで今二十一? 俺の将棋人生には今後ずっと浅井くんがいるのか……。終わったーー」
「ついでにお前の人生ごと終わっちまえ」
「浅井くんってさ、ちょっと修行僧っぽいイメージない?」
「同感。食事、睡眠、風呂以外は将棋やってるって聞いた」
「イケメンで好青年なのに、世捨て人みたいな毎日なのか」