センチメンタル・ファンファーレ
「チョコレート?」
「うん」
おいしい、と評判を聞いて買ってきたチョコレートが六粒、箱に入っている。
「自分でもチョコレートとか買うことあるんだけど、対局中だと何食べてるのかわからないうちになくなってるんだ」
長い持ち時間の将棋だと、昼食休憩、夕食休憩と二回食事の時間があるけれど、特に終盤にさしかかる夕食休憩のとき、食べ物の味はしない、と聞く。
お兄ちゃんも、食べながら手が止まっていることはしょっちゅうあって、もはや誰も指摘しなくなった。
「だけど、弥哉ちゃんからもらったお菓子食べてるときは、弥哉ちゃんのこと思い出す」
「……読みの邪魔じゃない?」
「頑張ろうって思うよ」
噛み締めるように川奈さんは言った。
「将棋は孤独な戦いだけど、俺は孤独じゃない」
最近ではAIが発達して、事前研究がものすごいスピードと量で進んでいる。
そのせいで定跡も整備されて、単純な知識量を問われるシーンも多いらしい。
それでも、将棋は必ず未知の局面にぶち当たる。
そのときは誰の力も借りられず、自分で考えて自分で決めて、その責を負うしかない。
「……結婚式は、うまく行った?」
強い日差しを受けるイチョウの方に視線を逸らして、川奈さんは少し言いにくそうに尋ねてきた。
「……うん。なんとか」
「よかったね。白取くんは、俺よりずっと器用だから」
川奈さんの目は、まだ青い葉の色さえ吸い取ってしまうように暗く見えた。
「違うの。結局断っちゃったの、恋人代理」
「え!」
大きくもない目が、パッチリと見開かれる。
「直前になって、なんか気が引けて……。だけど半額はお支払いしたよ」
「そう、なんだ」
「うん。じゃあ、帰るね」
階段に向かう私を今度こそ川奈さんは見送っていたが、
「弥哉ちゃん!」
ちょうど角を曲がろうとしたところで呼び止められた。
「今日の対局は中継があるんだ。十二時半から一局目、それに勝てば五時半から二局目」
「だから髪切ったの?」
スッキリしている髪を指差すと、川奈さんはその部分を撫で付ける。
「うん、まあ、そうだね」
「色気づきやがって」
「弥哉ちゃん、ひどーい」
辛辣な言葉を投げていないと、全身から想いがこぼれてしまう。
「今日はたまたまものすごーく暇なの。すぐ負けちゃったら暇潰しにもならないから、しっかり勝ってね!」
川奈さんは約束するように、紙袋を高く掲げた。