センチメンタル・ファンファーレ

「川奈さんは“受け”が強いって聞きました」

風が舞い上げた灰に咳をしてから、小多田さんはうなずいた。

「『それで受かるの?』っていう危なっかしいことばっかりしてるよね。攻撃的な受け方っていうかさ。なんであんなことできるんだろう?」

「受けるって難しいんですか?」

「受け方によるけど、川奈くんのあれはセンスの領域だからね。それから勇気」

「勇気ですか?」

「いい手であっても、危険すぎて指せないものも多い。攻めの手は間違っても立て直しきくことが多いけど、受けの手は間違えたら即終わりだから。でも川奈くんはギリギリの手を指すんだよねえ。自分の読みの精度を信じてるんだと思う。危ない局面をしのいでしのいで勝つ時なんか、まあ見事だよ。逆にミスの許されない順を選んで、結局ミスしてボロ負けして、『俺バカだ~』ってね。それが川奈くんの将棋」

それは観ていて楽しいだろう。
ハラハラドキドキ。
棋士が苦しければ苦しいほど、きっと将棋は面白い。

「タイトルに絡んできてもおかしくないのに、なんでだろうね。それがわかれば、俺ももっと勝てるんだけど」

将棋には“運”の要素がほぼない。
たまたま勝つことはあっても、たまたま負けることはないという。
だけど、棋力、体力、精神力、すべてを備えた人でも、必ずタイトルを獲れるわけではない。
その差を産むのが“運”ではないなら、いったい何なのか。

『だったら、タイトルホルダーにならないとな』

お兄ちゃんが棋士なのに、将棋のことはほとんどわからない。
だけどお兄ちゃんが棋士だから、棋士がどんな人たちなのか、ちょっとはわかる。

努力して努力して努力して努力して、それでもどうしてもタイトルに届かなかった人が山ほどいる。
才能あふれる人が山ほどいる。
それを知っている私が、あの言葉に何て返せるんだろう。
「頑張ってタイトル獲ってよ」「タイトルなんていらないよ」どっちも、違う気がする。

「弥哉ちゃん、佐知さんの“謎の汁”すっごくおいしいよ~。はい、どうぞ。はい、吉岡さん。祐太郎さんも。こっちのネギ抜きは小多田さん」

川奈さんがお椀を配る後ろから、お兄ちゃんが長ーーいアルミの棒を持って現れた。
中身は虹湖さん作のバケットらしく、そのまま網の上に乗せる。

「“謎の汁”?」

「豚汁でもない、けんちん汁でもない。名前つけられないから“謎の汁”だって」

「いい匂い。おいしそーう! ちょっと身体冷えてきたから、中で食べてくるね」

川奈さんにどんな態度で接したらいいのかわからなくなって、私は入れ替わるようにコテージに戻った。


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