センチメンタル・ファンファーレ
◇
用事は一秒で済むけれど、その前段階ですでに二十分は浪費している。
他人の家の前をウロウロウロウロ。
不審者として通報されかねない、と焦り始めてからさらに十分。
帰省の準備もあるから、そろそろタイムリミットなのに、以前は何度も押せたチャイムがどうしても押せない。
「やっぱり、迷惑だよね。やめようかな……」
そう思って引き返そうとしても、ドアの向こうに川奈さんがいると思うと離れがたく、またしてもウロウロウロウロ繰り返す。
靴底が擦り切れるまでには決断したい。
ピルルルルルルル、ピルルルルルルル━━━━━
電話の呼び出し音は、廊下によく反響した。
「もしもし?」
声をひそめて出たけれど、ちなちゃんは遠慮のない音量で話す。
『弥哉ーーーっ!! どこにいるの? そろそろ出るよー』
「ごめん! すぐ戻るから準備してて。あと、ちょっとだけ待って」
「あれ? 弥哉ちゃん、どうしたの?」
ドアが開いて、川奈さんが顔を出していた。
とっさに通話を切る。
「お出かけ?」
スーツケースを引っ張り出すので、そう聞いた。
「うん。明日対局があって、前日入りなんだ。準備してたら、弥哉ちゃんの声が聞こえたから」
「すごい荷物」
「今回は和服対局だから」
「へえ和服」
神宮寺リゾートは各地にホテルや旅館をいくつも持っており、毎年決勝はそのどこかで行われる。
持ち時間は一人三時間。
タイトル戦さながらに、和服で対局するのが慣例となっているらしい。
今回も北陸では有名な温泉地のホテルが対局場として提供され、同じホテルの別会場で大盤解説会が行われる。
その大盤解説会がそのまま中継されることになっていた。
「和服対局って初めてだから、ちょっと緊張する」
スーツケースをぽんぽんと叩いた。
「和服、そこに詰め込んでるの?」
「そうだよ」
「皺にならない?」
「なるかも。それが心配」
一秒あればいいって思ったくせに、会話が途切れても言い出せなかった。