センチメンタル・ファンファーレ
「なんだかんだで応援してるんだ?」
「誰が。あんなヤツさっさと負ければいい。気色悪いメッセージ乱発しやがって」
お兄ちゃんが私の膝にスマホを放り投げてきた。
そこには、
16:08
『弥哉ちゃんに、間に合ったよって言っておいて』
16:13
『弥哉ちゃん、好きだよって言っておいて(照)』
16:22
『弥哉ちゃーん、愛してるー! って言っておいて(赤面)』
20:33
『そろそろ“お義兄さん”って呼んでいい?』
20:55
『弥哉ちゃんも神宮寺杯も俺がもらう!』
21:21
『深瀬さん、どうせ弥哉ちゃんに伝えてくれてないでしょ?』
21:39
『往生際わりーよ、深瀬!(怒)』
21:56
『おい、無視するな!(激怒)』
07:38
『弥哉ちゃん、おはようって言っておいて』
08:55
『弥哉ちゃん、頑張るよって言っておいて』
と一方的なメッセージが並んでいた。
「ひえー、情熱的~」
酔っ払いの祐太郎さんが覗き見して、さらに顔を赤らめる。
「これ、どうせお兄ちゃんへの当て付けでしょ?」
お酒は飲んでいないはずなのに、私も祐太郎さんと同じくらい顔が赤くなっていた。
川奈さんからのメッセージは、スマホに内蔵されたフォントのはずなのに、川奈さんの姿が見えるような気がした。
その文字を目に焼き付けようとしたけれど、スマホは本来の持ち主によって奪い返される。
「だとしても、マジで気色悪ぃ」
カメムシを噛み潰したような顔で、お兄ちゃんは容赦なくメッセージを削除していく。
「ああ! ひどい!」
「さっぱりしたー。いっそ川奈の本体ごと消去してえ」
幻となった告白をじっと心の中で反芻していると、解説に戻ってきた小多田さんのうめき声が聞こえた。
『うーーーーん……▲4六角で必死かかりますか。ちょっと粘るのも難しいですかねえ』
大盤で、カチンと市川竜王の角を動かすと、防御線がペラペラの川奈玉の側に突き刺さるようだった。
フラフラ逃げていた川奈さんの玉も、命の灯火が弱々しくなっているみたいに見える。
『切って、取って、桂馬打って、逃げて……こうなると一本道ですね』
川奈さんの背中は丸まって、誰が見ても形勢は一目瞭然だった。
読んでも読んでも、自分の不利になる順しか見えないのだろう。
「評価値だと1000点近く差がついてる。小多田さんが言ってるように、▲4六角指されたらさすがにキツイな」
どこから拾ってくる情報なのか、スマホを見ながらお兄ちゃんはそう言った。
将棋ソフトでは評価値と言って、形勢を点数で表す。
ソフトによって差はあるものの、プロの間で1000点の差がつくと、ひっくり返すのは困難と言われているそうだ。
「そうかー、残念だな」
祐太郎さんは空のコップを持ってキッチンへ行った。
疲れて寝てしまった有理くんを抱えて、真菜花ちゃんの運転で帰って行く。
「もう勝てないの?」
「形勢悪いのは川奈も自覚してる。でもまだ諦めてない。▲4六角を指されないように先受けしながら、退路も探ってる」
「勝つ可能性もある?」
「野球なら満塁ホームランでも4点しか入らないけど、一手で8点も10点も入るのが将棋だから」
「さあさあ、続きは家で観たら?」
お母さんに促されて、テレビとパソコンを閉じた。
川奈さんの苦しそうな表情は、それでも頭から離れなかった。