きみこえ
君とのDistance
冬真から遠回しに『距離を置け』と言われてから、陽太は大人しくほのかを密かに見守っていた。
これはそんな彼の一日の記録である。
朝、いつもよりほんの少し遅い時間に家を出た陽太は学校まであと少しという距離の所で前方を歩いているほのかの姿が目に入った。
すぐに小走りで駆け寄って挨拶をしようとしたが、数歩走ったところで足を止めた。
陽太はまともに目を見て話し掛けられるかを脳内でシュミレーションした。
しかし、すぐに高速で目を逸らし、頭を明後日の方向に振り、しまいには走り去る未来しか想像出来ずに意気消沈した。
「いや、普通に、普通にすれば行けるんじゃ・・・・・・、普通に、普通に・・・・・・」
そうやって自分を洗脳するかの如くブツブツと呟きながらほのかの後ろをつけた。
陽太は声を掛けるタイミングを考えながら学校の門をくぐり、昇降口を過ぎ、階段を上り、気が付くと既に教室に着いてしまっていた。
「あっ・・・・・・」
ほのかは陽太に気が付かずにそのまま自分の席に座った。
ほのかは冬真の方に向くとスケッチブックに【おはよう】と書いて微笑み、陽太はそれを横目で見ながら自分の席に着いた。
いつもならそのポジションには自分が居たのにと思いつつもその事を考えないようにしようと陽太はかぶりを振った。
自分も話の輪に入りに行こうかと迷ったが、何故か勇気が出なかった。
今まで自然に出来た事が、当たり前の様にしてきた事が出来なくなり、陽太はもどかしく思った。
授業中、冬真の采配通り、陽太の席からは斜め前に座るほのかの姿を見る事が出来た。
ほのかと冬真の二人が話している様子を見る度にモヤッとしたが、その代わり新しい発見もあった。
ほのかが授業中、先生に当てられそうになると教科書を盾にして必死に頭を隠し縮こまっている事。
歴史の授業になるとうつらうつらと船を漕ぎ出す事。
昼休みの時間が近付くとそわそわしだす事。
どれも席が隣だった時には気が付かなかった事で、そのどれもが可愛く思えた。
「・・・・・・君」
ほのかの観察をするのは退屈しのぎにもってこいだった。
見ているだけで自然と頬が緩んだ。
「春野君」
しかし、その行為にはいくらかのリスクがつきものだった。
「春野君! 君、先生の話聞いてますか?」
「へ?」
陽太はやっと先生から声を掛けられている事に気が付いた。
顔を上げれば眉間に皺を寄せ頬をひくつかせた先生の顔があり、陽太はすぐにまずいと感じたが、言い訳すら思いつかなかった。
「すみません、聞いてませんでした」
「授業中はちゃんと集中なさい。四十五ページ目から読んでちょうだい」
「はい」
クラスメイトの明るい笑い声がする中、陽太は冬真と目が合った。
後で小言を言われそうだ、とそんな予感がした。
昼休み、陽太は食堂に行くほのかの後ろを歩いていた。
その距離およそ五メートルは離れていた。
ふと、何を思ったのかほのかは後ろを振り向き、陽太は咄嗟に階段脇の壁に隠れた。
「お前はスパイか忍者か何かか?」
「うわぁあ」
驚きはしつつも、低くて冷たげな良く聞き知った声から陽太にはすぐに冬真の声だと分かった。
「何だよ冬真か。スパイも忍者も似たようなものだろ?」
「ふん、なら言葉を改めよう、お前はストーカーか何かか?」
「うっ、何か否定出来ない自分が悔しい」
「お前、前にもこんな事してたよな」
冬真の言う前にもというのは文化祭前、ほのかを誘うのにまごついていた時の話だ。
「だって、距離感とか、もう良く分からなくてさ」
「普通にすればいいだろう」
二人は一緒に食堂に向かって歩き出した。
「え、距離を置けってのは」
「は? そんな事は一言も言っていないが?」
「え?」
陽太は今まで冬真の言葉を、行動をそう勝手に解釈していた。
「確かに適度な距離は大切だろうが、少しずつ慣らしていかないと折角席を離した意味が無いだろう。完全に離れてどうする」
「そ、そうだよな。なあ、どれ位なら慣れたって言えると思う?」
「そうだな・・・・・・」
冬真は前方をのんびり歩いているほのかの頭を捕まえると陽太の前に突き出した。
「うわっ、月島さん!」
急に目の前に突き付けられた陽太は慌てふためいた。
「十秒、目と目を合わせられたらいいんじゃないか?」
ほのかはいきなりの事で何が起きているのか、何故陽太と向き合っているのかが全く分からず、ぽやっとした顔で脳内をクエスチョンマークでいっぱいにさせていた。
「いーち、にー・・・・・・」
「わ、わ、わ」
カウントダウンと共に陽太の顔はどんどん火照っていった。
「さーん」
「俺、ギブ!!」
睨めっこならぬ見詰め合いっこに真っ先に敗北したのは勿論陽太だった。
すぐにその場から走り去りたい気持ちをグッと抑え、陽太は顔を背けるに留めた。
「三秒か・・・・・・まだまだだな」
そう言って冬真は溜め息を吐いた。
食堂で定食を買った陽太はどこに座ろうか悩んだ。
昨日までは何だかんだと理由をつけて他のクラスメイトと食べたりしていた。
ほのかと冬真といえば当然の様に一緒のテーブルに座っていた。
陽太は二人を視野に入れつつ近くのテーブルに座ろうかどうか迷いながら傍を数往復歩いた。
それに気が付いたほのかは陽太の裾を引っ張った。
【一緒に食べよう】
最近一緒にお昼ご飯を食べていなかったほのかは今日こそはと思い陽太を誘った。
ほのかなりにかなり勇気を出して誘ったが、これで断られてしまったら自分は陽太に避けられてたり嫌われてたりする可能性も考えられた。
だが、決してそうは思いたくなかった。
「う、うん」
陽太はほのかの隣の席か、冬真の隣の席、どっちに座るか悩んだが、結局は冬真の隣の席に座った。
「そっちの席じゃなくていいのか?」
冬真の言うそっちの席とはほのかの隣の席だった。
「隣とか・・・・・・まだ無理」
またも赤面しながら陽太は冬真にそう耳打ちした。
陽太は今まで何も気にせず好きな席に座っていた過去の自分を羨ましく思った。
放課後、陽太は普通に帰るかどうか考えたが、何となく書道部に顔を出してみる事にした。
少しでも、ほのかとの距離が縮まればという思惑もあった。
「失礼しまーす」
部室に入ってみればそこにはいつもの作務衣姿の翠が居るだけだった。
「おや、春野君、部活ですか? 珍しいですね」
「えっと、まあ・・・・・・、今日は先輩だけですか?」
教室は見渡す必要がないくらいにスッキリとしていて、翠以外の人物が居た形跡すらなかった。
「やる気になってくれたのは嬉しいのですが、残念ながらテスト準備期間という事で部活動はお休みなんですよ。あ、私が部活をしていた事は内緒ですよ?」
「テスト準備期間! ヤバい、忘れてた・・・・・・」
テストという出来る事なら一年中聞きたくない単語が出てきて陽太は青ざめた。
「ふふ、春野君も勉強する為にお帰りになりますか?」
「そう・・・・・・ですね、折角見詰め合う練習が出来ればと思ったけど」
「見詰め合う? ですか?」
陽太は小声で呟いたつもりだったが、翠にはしっかりと聞こえてしまっていた。
「えっと、いや、その・・・・・・、先輩は人と十秒以上見詰め合うとか出来ますか?」
「ふむ、それは難しい事ですね。あんまり直接長く見詰めては相手にとって威圧的に感じてしまったりしますから」
「威圧・・・・・・ですか?」
「あれでしょう? アルバイトの面接とかでお困りなのですよね? しかし、相手の目を見て話すのも大切ですから、そうそう、相手の鼻やネクタイ辺りを見るのも良いそうです」
「はあ・・・・・・」
「あ、でもアルバイトはテストが終わってからの方が良いですよ。そうだ! 履歴書の字の美しさも好印象を与えます。今度ペン習字はいかがですか? お教えしますよ?」
「ええと、考えておきます」
その後も、何故か陽太は翠から面接対策をみっちり聞かされる羽目になった。
「はあ・・・・・・もうこんな時間か」
窓から見える青と白とオレンジは無限に広がるキャンバスに幻想的な絵を作り出していた。
日が落ちるのが大分早くなった。
冬が近い、陽太はそんな事を感じ取りながら廊下を歩いていると昇降口で思わぬ人物と遭遇した。
「なん・・・・・・で?」
夕焼けの逆光で分かりにくかったが、確かにそれはほのかの姿だった。
これはそんな彼の一日の記録である。
朝、いつもよりほんの少し遅い時間に家を出た陽太は学校まであと少しという距離の所で前方を歩いているほのかの姿が目に入った。
すぐに小走りで駆け寄って挨拶をしようとしたが、数歩走ったところで足を止めた。
陽太はまともに目を見て話し掛けられるかを脳内でシュミレーションした。
しかし、すぐに高速で目を逸らし、頭を明後日の方向に振り、しまいには走り去る未来しか想像出来ずに意気消沈した。
「いや、普通に、普通にすれば行けるんじゃ・・・・・・、普通に、普通に・・・・・・」
そうやって自分を洗脳するかの如くブツブツと呟きながらほのかの後ろをつけた。
陽太は声を掛けるタイミングを考えながら学校の門をくぐり、昇降口を過ぎ、階段を上り、気が付くと既に教室に着いてしまっていた。
「あっ・・・・・・」
ほのかは陽太に気が付かずにそのまま自分の席に座った。
ほのかは冬真の方に向くとスケッチブックに【おはよう】と書いて微笑み、陽太はそれを横目で見ながら自分の席に着いた。
いつもならそのポジションには自分が居たのにと思いつつもその事を考えないようにしようと陽太はかぶりを振った。
自分も話の輪に入りに行こうかと迷ったが、何故か勇気が出なかった。
今まで自然に出来た事が、当たり前の様にしてきた事が出来なくなり、陽太はもどかしく思った。
授業中、冬真の采配通り、陽太の席からは斜め前に座るほのかの姿を見る事が出来た。
ほのかと冬真の二人が話している様子を見る度にモヤッとしたが、その代わり新しい発見もあった。
ほのかが授業中、先生に当てられそうになると教科書を盾にして必死に頭を隠し縮こまっている事。
歴史の授業になるとうつらうつらと船を漕ぎ出す事。
昼休みの時間が近付くとそわそわしだす事。
どれも席が隣だった時には気が付かなかった事で、そのどれもが可愛く思えた。
「・・・・・・君」
ほのかの観察をするのは退屈しのぎにもってこいだった。
見ているだけで自然と頬が緩んだ。
「春野君」
しかし、その行為にはいくらかのリスクがつきものだった。
「春野君! 君、先生の話聞いてますか?」
「へ?」
陽太はやっと先生から声を掛けられている事に気が付いた。
顔を上げれば眉間に皺を寄せ頬をひくつかせた先生の顔があり、陽太はすぐにまずいと感じたが、言い訳すら思いつかなかった。
「すみません、聞いてませんでした」
「授業中はちゃんと集中なさい。四十五ページ目から読んでちょうだい」
「はい」
クラスメイトの明るい笑い声がする中、陽太は冬真と目が合った。
後で小言を言われそうだ、とそんな予感がした。
昼休み、陽太は食堂に行くほのかの後ろを歩いていた。
その距離およそ五メートルは離れていた。
ふと、何を思ったのかほのかは後ろを振り向き、陽太は咄嗟に階段脇の壁に隠れた。
「お前はスパイか忍者か何かか?」
「うわぁあ」
驚きはしつつも、低くて冷たげな良く聞き知った声から陽太にはすぐに冬真の声だと分かった。
「何だよ冬真か。スパイも忍者も似たようなものだろ?」
「ふん、なら言葉を改めよう、お前はストーカーか何かか?」
「うっ、何か否定出来ない自分が悔しい」
「お前、前にもこんな事してたよな」
冬真の言う前にもというのは文化祭前、ほのかを誘うのにまごついていた時の話だ。
「だって、距離感とか、もう良く分からなくてさ」
「普通にすればいいだろう」
二人は一緒に食堂に向かって歩き出した。
「え、距離を置けってのは」
「は? そんな事は一言も言っていないが?」
「え?」
陽太は今まで冬真の言葉を、行動をそう勝手に解釈していた。
「確かに適度な距離は大切だろうが、少しずつ慣らしていかないと折角席を離した意味が無いだろう。完全に離れてどうする」
「そ、そうだよな。なあ、どれ位なら慣れたって言えると思う?」
「そうだな・・・・・・」
冬真は前方をのんびり歩いているほのかの頭を捕まえると陽太の前に突き出した。
「うわっ、月島さん!」
急に目の前に突き付けられた陽太は慌てふためいた。
「十秒、目と目を合わせられたらいいんじゃないか?」
ほのかはいきなりの事で何が起きているのか、何故陽太と向き合っているのかが全く分からず、ぽやっとした顔で脳内をクエスチョンマークでいっぱいにさせていた。
「いーち、にー・・・・・・」
「わ、わ、わ」
カウントダウンと共に陽太の顔はどんどん火照っていった。
「さーん」
「俺、ギブ!!」
睨めっこならぬ見詰め合いっこに真っ先に敗北したのは勿論陽太だった。
すぐにその場から走り去りたい気持ちをグッと抑え、陽太は顔を背けるに留めた。
「三秒か・・・・・・まだまだだな」
そう言って冬真は溜め息を吐いた。
食堂で定食を買った陽太はどこに座ろうか悩んだ。
昨日までは何だかんだと理由をつけて他のクラスメイトと食べたりしていた。
ほのかと冬真といえば当然の様に一緒のテーブルに座っていた。
陽太は二人を視野に入れつつ近くのテーブルに座ろうかどうか迷いながら傍を数往復歩いた。
それに気が付いたほのかは陽太の裾を引っ張った。
【一緒に食べよう】
最近一緒にお昼ご飯を食べていなかったほのかは今日こそはと思い陽太を誘った。
ほのかなりにかなり勇気を出して誘ったが、これで断られてしまったら自分は陽太に避けられてたり嫌われてたりする可能性も考えられた。
だが、決してそうは思いたくなかった。
「う、うん」
陽太はほのかの隣の席か、冬真の隣の席、どっちに座るか悩んだが、結局は冬真の隣の席に座った。
「そっちの席じゃなくていいのか?」
冬真の言うそっちの席とはほのかの隣の席だった。
「隣とか・・・・・・まだ無理」
またも赤面しながら陽太は冬真にそう耳打ちした。
陽太は今まで何も気にせず好きな席に座っていた過去の自分を羨ましく思った。
放課後、陽太は普通に帰るかどうか考えたが、何となく書道部に顔を出してみる事にした。
少しでも、ほのかとの距離が縮まればという思惑もあった。
「失礼しまーす」
部室に入ってみればそこにはいつもの作務衣姿の翠が居るだけだった。
「おや、春野君、部活ですか? 珍しいですね」
「えっと、まあ・・・・・・、今日は先輩だけですか?」
教室は見渡す必要がないくらいにスッキリとしていて、翠以外の人物が居た形跡すらなかった。
「やる気になってくれたのは嬉しいのですが、残念ながらテスト準備期間という事で部活動はお休みなんですよ。あ、私が部活をしていた事は内緒ですよ?」
「テスト準備期間! ヤバい、忘れてた・・・・・・」
テストという出来る事なら一年中聞きたくない単語が出てきて陽太は青ざめた。
「ふふ、春野君も勉強する為にお帰りになりますか?」
「そう・・・・・・ですね、折角見詰め合う練習が出来ればと思ったけど」
「見詰め合う? ですか?」
陽太は小声で呟いたつもりだったが、翠にはしっかりと聞こえてしまっていた。
「えっと、いや、その・・・・・・、先輩は人と十秒以上見詰め合うとか出来ますか?」
「ふむ、それは難しい事ですね。あんまり直接長く見詰めては相手にとって威圧的に感じてしまったりしますから」
「威圧・・・・・・ですか?」
「あれでしょう? アルバイトの面接とかでお困りなのですよね? しかし、相手の目を見て話すのも大切ですから、そうそう、相手の鼻やネクタイ辺りを見るのも良いそうです」
「はあ・・・・・・」
「あ、でもアルバイトはテストが終わってからの方が良いですよ。そうだ! 履歴書の字の美しさも好印象を与えます。今度ペン習字はいかがですか? お教えしますよ?」
「ええと、考えておきます」
その後も、何故か陽太は翠から面接対策をみっちり聞かされる羽目になった。
「はあ・・・・・・もうこんな時間か」
窓から見える青と白とオレンジは無限に広がるキャンバスに幻想的な絵を作り出していた。
日が落ちるのが大分早くなった。
冬が近い、陽太はそんな事を感じ取りながら廊下を歩いていると昇降口で思わぬ人物と遭遇した。
「なん・・・・・・で?」
夕焼けの逆光で分かりにくかったが、確かにそれはほのかの姿だった。