灯台の灯 ~導き~
――――夕方の六時。
僕と祈は七時から始まる花火大会に向かっていた。
今から行けば充分間に合う。
慌てる必要なんて何一つとしてない。
人混みが多くなってきた。
提灯のほのかな光が人々を優しく照らす。
「祈」
彼女の手を決して離さないようにと、しっかりと握り締める。
「っ……!!」
バッと彼女は顔を上げる。
彼女と目が合う。
直後、顔を真っ赤にして目を逸らされた。
その代わりに、握っている手の力が強くなる。
温かな彼女の柔和な肌の感触が伝わってくる。
「ねぇ、私に付いて来て。夏樹くん」
「ちょっと、祈。花火会場はそっちじゃ……」
「いいからいいから」
彼女に手を引かれるままに歩を進める。
人の流れとは違う場所へ。
三日月橋を渡り、脇に木々が生い茂る細道を登っていく。
「祈……」
「…………」
話しかけても一切返事がない。
ひたすら彼女は歩き続ける。
僕はそれについて行くしかない。
暫くすると、拓けた丘に出た。
「ここって……」
そこは、見覚えがあった。
そう。
ここは、彼女と始めてあった場所。
――――始まりの場所。
頭上には満天の星空。
無数の星が瞬いている。
「ねぇ、夏樹覚えてる? この場所」
「ああ。もちろん」
忘れるわけがない。
「始めて私達はここで出会った。五歳の夏に。とあるキャンプのイベントで、お昼休みの時にたまたま席が近くって」
そうだ。
忘れられていた記憶が、宝物の記録が頭の中で映像化されていく。
「花を摘んで遊んでいた君に僕は話しかけたんだ」
「うん。その時、夏樹はなんて言ったか覚えてる?」
「いや、何も」
祈は懐かしそうに眼を細める。
「あの時君はね、『いっしょにあそぼうよ。ぼくといっしょに、なつをみつけにいこう』って。あの時、私は友達がいなかった。体が弱かった性もあったけど、元々内気な性格だったから。でも、そんな籠の中で引き籠っていた私を、君は外の世界へと連れ出してくれた。家も近いということも分かって、それから一緒に良く遊ぶようになって」
「そうそう」
あの時の僕は、純粋に遊び相手が欲しかったんだ。
それで、彼女を外の世界へと連れ出したんだ。
「私が倒れた時もいつも見舞いに来てくれて」
「ああ。一回、雨の中遊んで祈が風を引いた時があったな。あの時、僕すんげぇ怒られた」
「ふふっ。知ってる」
桜色の小さな唇を抑えて笑う。
その癖も昔から何ら変わっていない。
「小学校に入ってからも、夏樹くんがいてくれたから私は友達を作ることが出来た。中学校の時も。だから、今の私があるのは……夏樹……君のお陰なんだよ」
月明りの下、彼女の濡烏色の髪が微風に揺れる。
その笑顔はどこか儚げで、小さな灯のようにすぐに消えてしまいそうで。
「恋人になってくれたのも。まさか、夏樹の方から告白してくれるとは思ってもみなかったけれど」
「し、しょうがないだろ。だって祈が――――」
そう言いかけた時、唇を人差し指で止められた。
「それ以上は駄目だよ」
いたずらをする子供の様な表情ではにかむ。
「夏樹はこれからも色んな出逢いをするんだろうね」
「え?」
「この世界には70億人もの人間がいて、たくさんの女性がいる。私なんてその中の一部に過ぎない」
「おい。……祈…………何を言って……」
動揺の念が広がる。
まるで、自分がいなくなるようなそんな言い方。
「私がいなくなっても、夏樹はその中の女性とまた恋をして、恋人同士になって、結婚をして、子供を産んで、幸せな家庭を築いていくんだろうね」
「僕は――――」
君と一緒がいい。君と一緒に幸せになりたいんだ。
「夏樹が本気なのも知ってる。でもね、もうダメなの」
「――――え?」
「私、もうすぐ死ぬみたい。病院で何かあったみたいなの。何があったのかは分からないけれど、私の脳は、体は死につつあるの」
差し出された右手は、淡い光となって夜の闇に消えていく。
三歩前に出る。
月明りの下、彼女の顔が照らされる。
「知ってるでしょ。私、心臓病だってこと。病院にいるってこと。もう、先は長くないってこと」
「知ってる。けど……」
いくら何でも早すぎる。
だって、担当医師は後一年は持つだろうって……。
「何事も例外は存在するよ。夏樹は何も悪くない。いや、誰も悪くないんだよ。ただ、運が悪かっただけ。それだけなんだよ」
「それでも……」
次に放つ言葉を人差し指で止められた。
「それ以上はだめだよ。私だって生き物だもん。いつかは死んじゃうよ。でも、夏樹はこれからも人生続いていくんだよ。今の数倍の人生を歩むんだよ」
「それでも、僕は祈のことが好きなんだよ。僕、祈がいなくなっちゃったらどうすれば……」
「夏樹……」
祈は、身を翻し、そっと僕の背中に回した。
彼女の温もりを…………感じられない。
「ごめんね。本当は私も夏樹といっしょに色んな所に行きたかった。旅をして同じ物を見て、感じたかった。朝ごはんも毎朝作りたかった。あ、でも私料理は下手だった」
彼女は、えへへとはにかみながら、右手の拳でこつんと自分の頭を叩く。
「料理は夏樹の方が得意だったね。私、まだまだ夏樹から料理を教えて貰いたかったな。ねぇ、夏樹。私達、また会えるかな」
「ああ。会える。会えるさ。生まれ変わったら、僕が70億分の一の中から探し出してやる。運命なんて、僕が壊してやる」
「ふふ。変な夏樹。その時代に私はいないかもしれないんだよ?」
「それなら、何階でも探し出してやる。どんな姿になっても、探し出してやる」
「そっか。それなら良かった」
熱くなる胸を抑えることが出来ない。
両目から溢れる涙を止める事が出来ない。
ぼくは、君に触れる事すら出来ないなんて……。
「最後の夏樹との食事楽しかったよ。アバター用の食事が出せるお店をわざわざ探してくれたんだよね。とても嬉しかった」
「俺……」
溢れる想いが……涙が……止められない。
「もう、最後は笑って見送ってくれるって約束したくせに。私の彼氏になった時からこのことは分かっていたはずだよ」
「ああ。知っている。分かってた。それでも、それでも――――」
実際、体験するとどうすることも出来ない自分が嫌になる。
無力な自分に。
そんな自分を嫌いになりそうだ。
「大丈夫だよ。絶対に私達は会える。こんなにも私を好きになってくれて、大切にしてくれたんだもん。次、夏樹が好きになった人を私と同じくらい好きに出来るよ。大切に出来るよ」
彼女の体が光の粒子となって消えていく。
かき集めても無駄なことなのだろう。
「祈…………!!!!」
「今までありがとう。夏樹。好きだったよ」
手を伸ばす。
が、空を掴んだだけだった。
その時、最後の花火が撃ち上がった。
紅色の華やかな花が夜空に咲く。
綺麗な時は一瞬で。
でも、その一瞬のひと時が人々の想い出を作っていく。
祈も短い人生だったけど、僕の心に彼女との想い出が僕の心の奥底に仕舞われた。
彼女との想い出は、一生残るだろう。
夜空の花が散り乱れ、星たちが瞬く世界へと戻る。
もっと大切にすれば、もっと何か出来たんじゃないかっていう後悔が募る。
今更、そんなことを言ってもしょうがないかもしれないけれど。
後悔はしても仕切れない。
数えれば数える程、その数は多くなっていく。
無力で惨めな自分が露になっていく。
でも、彼女はそんなことを僕に望んではいないだろう。
彼女は僕に「幸せになって」と。
「私と同じくらい周りの人を大切にして」と言ったんだ。
それが彼女の最後の願いなんだ。
それなら、僕は彼女の想いを抱えて前に踏み出していくしかない。
その為に、まずは――――。
「病院に行ってあいつの寝顔をみないとな」
僕と祈は七時から始まる花火大会に向かっていた。
今から行けば充分間に合う。
慌てる必要なんて何一つとしてない。
人混みが多くなってきた。
提灯のほのかな光が人々を優しく照らす。
「祈」
彼女の手を決して離さないようにと、しっかりと握り締める。
「っ……!!」
バッと彼女は顔を上げる。
彼女と目が合う。
直後、顔を真っ赤にして目を逸らされた。
その代わりに、握っている手の力が強くなる。
温かな彼女の柔和な肌の感触が伝わってくる。
「ねぇ、私に付いて来て。夏樹くん」
「ちょっと、祈。花火会場はそっちじゃ……」
「いいからいいから」
彼女に手を引かれるままに歩を進める。
人の流れとは違う場所へ。
三日月橋を渡り、脇に木々が生い茂る細道を登っていく。
「祈……」
「…………」
話しかけても一切返事がない。
ひたすら彼女は歩き続ける。
僕はそれについて行くしかない。
暫くすると、拓けた丘に出た。
「ここって……」
そこは、見覚えがあった。
そう。
ここは、彼女と始めてあった場所。
――――始まりの場所。
頭上には満天の星空。
無数の星が瞬いている。
「ねぇ、夏樹覚えてる? この場所」
「ああ。もちろん」
忘れるわけがない。
「始めて私達はここで出会った。五歳の夏に。とあるキャンプのイベントで、お昼休みの時にたまたま席が近くって」
そうだ。
忘れられていた記憶が、宝物の記録が頭の中で映像化されていく。
「花を摘んで遊んでいた君に僕は話しかけたんだ」
「うん。その時、夏樹はなんて言ったか覚えてる?」
「いや、何も」
祈は懐かしそうに眼を細める。
「あの時君はね、『いっしょにあそぼうよ。ぼくといっしょに、なつをみつけにいこう』って。あの時、私は友達がいなかった。体が弱かった性もあったけど、元々内気な性格だったから。でも、そんな籠の中で引き籠っていた私を、君は外の世界へと連れ出してくれた。家も近いということも分かって、それから一緒に良く遊ぶようになって」
「そうそう」
あの時の僕は、純粋に遊び相手が欲しかったんだ。
それで、彼女を外の世界へと連れ出したんだ。
「私が倒れた時もいつも見舞いに来てくれて」
「ああ。一回、雨の中遊んで祈が風を引いた時があったな。あの時、僕すんげぇ怒られた」
「ふふっ。知ってる」
桜色の小さな唇を抑えて笑う。
その癖も昔から何ら変わっていない。
「小学校に入ってからも、夏樹くんがいてくれたから私は友達を作ることが出来た。中学校の時も。だから、今の私があるのは……夏樹……君のお陰なんだよ」
月明りの下、彼女の濡烏色の髪が微風に揺れる。
その笑顔はどこか儚げで、小さな灯のようにすぐに消えてしまいそうで。
「恋人になってくれたのも。まさか、夏樹の方から告白してくれるとは思ってもみなかったけれど」
「し、しょうがないだろ。だって祈が――――」
そう言いかけた時、唇を人差し指で止められた。
「それ以上は駄目だよ」
いたずらをする子供の様な表情ではにかむ。
「夏樹はこれからも色んな出逢いをするんだろうね」
「え?」
「この世界には70億人もの人間がいて、たくさんの女性がいる。私なんてその中の一部に過ぎない」
「おい。……祈…………何を言って……」
動揺の念が広がる。
まるで、自分がいなくなるようなそんな言い方。
「私がいなくなっても、夏樹はその中の女性とまた恋をして、恋人同士になって、結婚をして、子供を産んで、幸せな家庭を築いていくんだろうね」
「僕は――――」
君と一緒がいい。君と一緒に幸せになりたいんだ。
「夏樹が本気なのも知ってる。でもね、もうダメなの」
「――――え?」
「私、もうすぐ死ぬみたい。病院で何かあったみたいなの。何があったのかは分からないけれど、私の脳は、体は死につつあるの」
差し出された右手は、淡い光となって夜の闇に消えていく。
三歩前に出る。
月明りの下、彼女の顔が照らされる。
「知ってるでしょ。私、心臓病だってこと。病院にいるってこと。もう、先は長くないってこと」
「知ってる。けど……」
いくら何でも早すぎる。
だって、担当医師は後一年は持つだろうって……。
「何事も例外は存在するよ。夏樹は何も悪くない。いや、誰も悪くないんだよ。ただ、運が悪かっただけ。それだけなんだよ」
「それでも……」
次に放つ言葉を人差し指で止められた。
「それ以上はだめだよ。私だって生き物だもん。いつかは死んじゃうよ。でも、夏樹はこれからも人生続いていくんだよ。今の数倍の人生を歩むんだよ」
「それでも、僕は祈のことが好きなんだよ。僕、祈がいなくなっちゃったらどうすれば……」
「夏樹……」
祈は、身を翻し、そっと僕の背中に回した。
彼女の温もりを…………感じられない。
「ごめんね。本当は私も夏樹といっしょに色んな所に行きたかった。旅をして同じ物を見て、感じたかった。朝ごはんも毎朝作りたかった。あ、でも私料理は下手だった」
彼女は、えへへとはにかみながら、右手の拳でこつんと自分の頭を叩く。
「料理は夏樹の方が得意だったね。私、まだまだ夏樹から料理を教えて貰いたかったな。ねぇ、夏樹。私達、また会えるかな」
「ああ。会える。会えるさ。生まれ変わったら、僕が70億分の一の中から探し出してやる。運命なんて、僕が壊してやる」
「ふふ。変な夏樹。その時代に私はいないかもしれないんだよ?」
「それなら、何階でも探し出してやる。どんな姿になっても、探し出してやる」
「そっか。それなら良かった」
熱くなる胸を抑えることが出来ない。
両目から溢れる涙を止める事が出来ない。
ぼくは、君に触れる事すら出来ないなんて……。
「最後の夏樹との食事楽しかったよ。アバター用の食事が出せるお店をわざわざ探してくれたんだよね。とても嬉しかった」
「俺……」
溢れる想いが……涙が……止められない。
「もう、最後は笑って見送ってくれるって約束したくせに。私の彼氏になった時からこのことは分かっていたはずだよ」
「ああ。知っている。分かってた。それでも、それでも――――」
実際、体験するとどうすることも出来ない自分が嫌になる。
無力な自分に。
そんな自分を嫌いになりそうだ。
「大丈夫だよ。絶対に私達は会える。こんなにも私を好きになってくれて、大切にしてくれたんだもん。次、夏樹が好きになった人を私と同じくらい好きに出来るよ。大切に出来るよ」
彼女の体が光の粒子となって消えていく。
かき集めても無駄なことなのだろう。
「祈…………!!!!」
「今までありがとう。夏樹。好きだったよ」
手を伸ばす。
が、空を掴んだだけだった。
その時、最後の花火が撃ち上がった。
紅色の華やかな花が夜空に咲く。
綺麗な時は一瞬で。
でも、その一瞬のひと時が人々の想い出を作っていく。
祈も短い人生だったけど、僕の心に彼女との想い出が僕の心の奥底に仕舞われた。
彼女との想い出は、一生残るだろう。
夜空の花が散り乱れ、星たちが瞬く世界へと戻る。
もっと大切にすれば、もっと何か出来たんじゃないかっていう後悔が募る。
今更、そんなことを言ってもしょうがないかもしれないけれど。
後悔はしても仕切れない。
数えれば数える程、その数は多くなっていく。
無力で惨めな自分が露になっていく。
でも、彼女はそんなことを僕に望んではいないだろう。
彼女は僕に「幸せになって」と。
「私と同じくらい周りの人を大切にして」と言ったんだ。
それが彼女の最後の願いなんだ。
それなら、僕は彼女の想いを抱えて前に踏み出していくしかない。
その為に、まずは――――。
「病院に行ってあいつの寝顔をみないとな」