かりそめ婚ですが、一夜を共にしたら旦那様の愛妻欲が止まりません
涙声で感情的になっているのは恭子さんだ。私は事務所に入ることができず、通路に立ち止まったまま固まる。

「彼女とそんな関係になってたなんて知らなかった! そんなに父親から勧められた相手と結婚したいの? うっ……うぅ、私には……もうわからないわ」

「もう決まったことだ。仕方ないだろ」

泣き崩れている恭子さんの背中を優しくさすりながら長嶺さんが宥めている……そんな光景を想像して、私は全身凍りついたようになった。

「私たち、あんなに愛し合っていたというのに……いきなり結婚するなんて言われても、納得できない!」

「付き合うことはできても、結婚は無理だろ。おとなしく諦めたほうが身のためだぞ」

冷静な口調で長嶺さんがそう言うと、恭子さんは嗚咽を漏らしながら泣き出した。

どいう、こと? 愛し合ってた……?

世界から私だけが排除されて時が止まったような感覚がする。ケーキの入った箱を落とさないよう、理性と共に箱の取っ手をぐっと指に食い込ませる。

「芽衣の保証人になるんだろ? 週明けに届けを出す予定なんだ。頼んだぞ」

「わかったわよ……ほんと冬也ったら、こんなときに無慈悲な男ね」

二人の会話が途切れ、長嶺さんが事務所から出てくる気配を感じて私は咄嗟に更衣室へ転がり込んだ。電気の点いていないそこは幸い誰もいなかった。

そ、っか……そうだったんだ。

ずるずると背中を押し付けたまま壁を伝って、私はその場にへたりこんだ。
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