かりそめ婚ですが、一夜を共にしたら旦那様の愛妻欲が止まりません
「それは災難だったな。君は……観光客って感じでもなさそうだな。地元の人?」

細身のジーンズに半袖のニット、特にバッグも携帯せず仕事が終わってふらっと近所の店に飲みに行くいつものラフな格好だったけれど、それだけで観光客じゃないと見抜かれて思わず彼を見た。

「この辺は少し治安が悪くてすりが多いんだ。そんな場所にひとりで女が飲みに来るなんて、なにも知らない観光客か地元の人間くらいなもんだろ」

見た目に似つかわしくないぶっきらぼうな物言いで彼はクスッと笑った。

私はカフェや雑貨屋がひしめき合う“マレ地区”と呼ばれるパリ三区内で販売促進、戦略などのアイデアをクライアントに提案、助言する経営コンサルタントをしながら約七年ここに住んでいる。だからこの辺りを全く知らないわけじゃない。それなのになんだか小馬鹿にされたみたいでムッとしたけど、彼が現れなかったら店に迷惑をかけるところだったし、ここはぐっと堪えて感謝しないといけない。

「ここのパナシェはうまいんだよな、俺も久々にこの店に来たんだ」

彼は爽快にパナシェを呷り、満足げにハァーと息づいた。

特に気の知れた友人がいるわけでもなく、飲みに行くときは大抵ひとりだ。たまに男の人から声をかけられてナンパされるけれど、彼の口から「日本人? 中国人?」とお決まりの言葉は出てこなかった。むしろ相手がどこの国の人なのか興味もなさそうだ。

そのほうがかえって気が楽だけどね……。

私は彼に芽衣(めい)とファーストネームだけ名乗り、パリで暮らしていること、三区で店舗コンサルタントをしていることなど当たり障りのないことを話した。

「へぇ、経営コンサルタントね」

なにかピンとこない、というか興味なさそうな反応で彼は「ふぅん」と鼻を鳴らした。

「三区っていったらカフェが多いな、そう言った店でも仕事したりするのか?」

「え、ええ。専門が飲食店なんで、そういった店からの依頼を主に担当してます」

仕事柄、見ず知らずの人と話すことは慣れているはずなのに、計算し尽くされたような彼の容姿に緊張しているのか口調が固くなる。
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