✿ハナコデスケドモ✿
中学の話
11/19 (火)
皆様こんにちは。
Twitterから来てくれた人もnoichigoで見つけてくれた方ものぞきに来てくれてありがとうございます。
Twitterでは隠して話していたことも全部ここでは書いていこうと思います。
今日は私が中学生の時の話をしたいと思います。
小学生から中学生になるのは楽しみでした。クラブ活動、新しい友達、新品の制服、すべてが楽しみで待ち遠しくて早く中学生になりたいという気持ちでいっぱいでした。
入学してからすぐは本当に楽しかった。幼稚園の年少からの親友のふみかちゃんと同じクラスだったからです。4年生の時以来の同じクラスで2人とも大はしゃぎでした。
クラブ活動の募集が始まり、
ふみかちゃんと同じクラブに入りたくて私自身ピアノを習っていたので、吹奏楽部に入りたくて誘いました。
でも結局私は卓球部のクラブ体験に行き最終的には、ふみかちゃんが吹奏楽部、私は卓球部に入ることになりました。
私は結構人を振り回してしまう性格で散々誘ったくせに自分は違うクラブに入るという愚かな行動を起こしてしましました。
今思い出しても本当に申し訳ないと思います。
でも結果的には私の選択は正解だったと胸を張って言えます。何故なら、あらいぐまちゃんに出会えたからです。
あらいぐまちゃんとはクラブ活動で出会いました。
同じクラスだったけど私はふみかちゃんと、吹奏楽部のメンバーのゆづき、みずほ、まゆ 達の4人でクラスでかたまっていたので、あらいぐまちゃんとは最初のほうは教室で話すことはなかったです。
私が卓球部に入ってもふみかちゃんは私の事を責めたりせずに一緒にいてくれました。
しかし、ある日の朝。
まゆとゆづきが「花子って自己中やんな」って言いはじめ、急に仲間外れにされました。
みずほもふみかちゃんも私のことを無視するようになって完全に教室でひとりぼっちになりました。
その後中学卒業するまではその3人と口をきくことはありませんでした。
自己中という言葉に本当に見覚えがなかったけど、今考えたら私がふみかちゃんのことを誘っておいて吹奏楽部に入らなかったことが原因だったのかなあと思いました。
部活を決めてからしばらくたっていたので、笑って許してくれていたものだと勘違いしていたのです。昔の私は気づきませんでした。
クラブ活動で仲良くなったあらいぐまちゃんと教室でも一緒にいることが多くなりました。幼稚園からの親友のふみかちゃんと口をきかなくなるのは相当なダメージで心が折れていました。
でもあらいぐまちゃんのおかげで本当に1年生の時は楽しかったです。
そして、事件が起きました。
登校して下駄箱の前で私は立ち尽くしました。
自分のスリッパがなくなったのです。
そこで私はほかの人のところに入っていないか探していました。
するとKさんのところにもスリッパがありませんでした。
とりあえず私は職員室にいって新しいスリッパを借りました。
私はKさんに話しかけました。「Kさんのスリッパなくなってたやんな」と、私のも無くなっててんという話をしたかっただけだったのに、この一言が私の中学生活を台無しにしました。
Kさんは勘違いをして私が隠したのだと思い込みほかのクラスのヤンキー仲間に声をかけて教室に乗り込んできました。
ヤンキーたちは見てもいないくせに私が犯人だときめつけ怒鳴り散らしてきました。
私も初めのほうは違うと否定していたけど、毎日言ってくるので次第に否定するのも面倒になり廊下ですれ違う時も教室にいるときも怖くなっていきました。
まあ舌打ちやら悪口を言われる程度だったので1年生の時のいじめはまだましでした。
2年生になり、Kさんとは別のクラスになり、また平凡な日々が戻ってくると安心していた矢先に、バスケ部のM君が私が書いた小学校の時の卒業論文について話しかけてきました。
私は小学6年生の時に嵐の櫻井翔君にはまっていて、謎解きはディナーの後でというドラマをみていました。
主演の北川景子さんも大好きで一時、女優さんにてみたいと夢見る少女になっていました。
まあ自分でもなれるわけないと自覚はしていたので卒業論文には「私の将来の夢は女優さんです。でもなれるわけがないので、幼稚園の先生になりたいです。」と書きました。
それを思春期の男子に見られたわけです。
そこからまたいじめがはじまりました。
本当そんなこと書かなければよかったってずっと後悔することになったのです。
1年生のときのいじめとは違い、色々なことをされました。
M君だけでなく、前の席のK君にもからかわれ始めエスカレートしていき次第にいじめになっていきました。
ひとりがいじめだすと周りもいじめはじめます。ほかのクラスのM君と同じ部活の人もあまり話したこともないのに練習で転がってるピン球を私にぶつけてきたりしました。
K君には机にプリントをたたきつけられたし、全然関係ない野球部の男子にも新聞紙を丸めたものを休み時間にぶつけられたりしていました。
ラグビー部の男子には廊下ですれ違いざまに肩をぶつけられ尻もちをついてこけたりしていました。
面識もない人にまさかそんなことをされるとは思っていなかったし先生に相談してもだれも聞いてくれる人はいませんでした。
ほんとうに先生達のことも大嫌いでした。
でもいじめをしている奴らの前では絶対に泣きませんでした。
泣いたら負けやとおもってたので、帰り道まで我慢するか家着いてからないていました。
でも限界がきて不登校気味になりました。テスト期間だったけど勉強どころではありませんでした。
でもテストを受けないと成績にかかわるのでいやいやながらも行きました。
不運なことに出席番号順に並ぶといじめの主犯格の2人が前の席と後ろの席で挟まれてしまいます。自分の苗字も大嫌いでした。
不登校気味になってからお母さんが学校に主犯格の男子とその母親を呼び出し担任の先生も交えて話をすることになりました。そこからはまだましになりました。
そして3年生になりいじめをしていた奴らとは別のクラスになり、あらいぐまちゃんと同じクラスになれたので3年生はいじめもなく楽しく過ごせました。
本当にいじめを受けている間は精神的に参ってしまうし、小学生の時の活発な性格ではなくなってしまいました。
中学の間はほんとうに笑うことができない時もあったけどいまはちゃんと笑うことができるのでだいぶ回復しています。
でも思い出しては病んでしまうこともまだ時々あります。
ながながとすみません
でも私のことを知っていてほしいのでここに書きました。
たまに暗い顔になってるときはこのことを思い出してしまっているときか、ほかに嫌なことがあったときです。
結構人間不信になりがちなのもこれのせいです。
でもリアルの人間には知らない人ばかりなので誤解されがちです。
いじめられてたという事実だけで人の見る目は本当に変わります。
なのでリアルの友達には誰にも言っていません。
というのが私の中学生時代です
本当に暗い話ですみません
思い出すだけでもつらいものがありますね(笑)
次回は高校を卒業してからの話をしようと思います。
皆様こんにちは。
Twitterから来てくれた人もnoichigoで見つけてくれた方ものぞきに来てくれてありがとうございます。
Twitterでは隠して話していたことも全部ここでは書いていこうと思います。
今日は私が中学生の時の話をしたいと思います。
小学生から中学生になるのは楽しみでした。クラブ活動、新しい友達、新品の制服、すべてが楽しみで待ち遠しくて早く中学生になりたいという気持ちでいっぱいでした。
入学してからすぐは本当に楽しかった。幼稚園の年少からの親友のふみかちゃんと同じクラスだったからです。4年生の時以来の同じクラスで2人とも大はしゃぎでした。
クラブ活動の募集が始まり、
ふみかちゃんと同じクラブに入りたくて私自身ピアノを習っていたので、吹奏楽部に入りたくて誘いました。
でも結局私は卓球部のクラブ体験に行き最終的には、ふみかちゃんが吹奏楽部、私は卓球部に入ることになりました。
私は結構人を振り回してしまう性格で散々誘ったくせに自分は違うクラブに入るという愚かな行動を起こしてしましました。
今思い出しても本当に申し訳ないと思います。
でも結果的には私の選択は正解だったと胸を張って言えます。何故なら、あらいぐまちゃんに出会えたからです。
あらいぐまちゃんとはクラブ活動で出会いました。
同じクラスだったけど私はふみかちゃんと、吹奏楽部のメンバーのゆづき、みずほ、まゆ 達の4人でクラスでかたまっていたので、あらいぐまちゃんとは最初のほうは教室で話すことはなかったです。
私が卓球部に入ってもふみかちゃんは私の事を責めたりせずに一緒にいてくれました。
しかし、ある日の朝。
まゆとゆづきが「花子って自己中やんな」って言いはじめ、急に仲間外れにされました。
みずほもふみかちゃんも私のことを無視するようになって完全に教室でひとりぼっちになりました。
その後中学卒業するまではその3人と口をきくことはありませんでした。
自己中という言葉に本当に見覚えがなかったけど、今考えたら私がふみかちゃんのことを誘っておいて吹奏楽部に入らなかったことが原因だったのかなあと思いました。
部活を決めてからしばらくたっていたので、笑って許してくれていたものだと勘違いしていたのです。昔の私は気づきませんでした。
クラブ活動で仲良くなったあらいぐまちゃんと教室でも一緒にいることが多くなりました。幼稚園からの親友のふみかちゃんと口をきかなくなるのは相当なダメージで心が折れていました。
でもあらいぐまちゃんのおかげで本当に1年生の時は楽しかったです。
そして、事件が起きました。
登校して下駄箱の前で私は立ち尽くしました。
自分のスリッパがなくなったのです。
そこで私はほかの人のところに入っていないか探していました。
するとKさんのところにもスリッパがありませんでした。
とりあえず私は職員室にいって新しいスリッパを借りました。
私はKさんに話しかけました。「Kさんのスリッパなくなってたやんな」と、私のも無くなっててんという話をしたかっただけだったのに、この一言が私の中学生活を台無しにしました。
Kさんは勘違いをして私が隠したのだと思い込みほかのクラスのヤンキー仲間に声をかけて教室に乗り込んできました。
ヤンキーたちは見てもいないくせに私が犯人だときめつけ怒鳴り散らしてきました。
私も初めのほうは違うと否定していたけど、毎日言ってくるので次第に否定するのも面倒になり廊下ですれ違う時も教室にいるときも怖くなっていきました。
まあ舌打ちやら悪口を言われる程度だったので1年生の時のいじめはまだましでした。
2年生になり、Kさんとは別のクラスになり、また平凡な日々が戻ってくると安心していた矢先に、バスケ部のM君が私が書いた小学校の時の卒業論文について話しかけてきました。
私は小学6年生の時に嵐の櫻井翔君にはまっていて、謎解きはディナーの後でというドラマをみていました。
主演の北川景子さんも大好きで一時、女優さんにてみたいと夢見る少女になっていました。
まあ自分でもなれるわけないと自覚はしていたので卒業論文には「私の将来の夢は女優さんです。でもなれるわけがないので、幼稚園の先生になりたいです。」と書きました。
それを思春期の男子に見られたわけです。
そこからまたいじめがはじまりました。
本当そんなこと書かなければよかったってずっと後悔することになったのです。
1年生のときのいじめとは違い、色々なことをされました。
M君だけでなく、前の席のK君にもからかわれ始めエスカレートしていき次第にいじめになっていきました。
ひとりがいじめだすと周りもいじめはじめます。ほかのクラスのM君と同じ部活の人もあまり話したこともないのに練習で転がってるピン球を私にぶつけてきたりしました。
K君には机にプリントをたたきつけられたし、全然関係ない野球部の男子にも新聞紙を丸めたものを休み時間にぶつけられたりしていました。
ラグビー部の男子には廊下ですれ違いざまに肩をぶつけられ尻もちをついてこけたりしていました。
面識もない人にまさかそんなことをされるとは思っていなかったし先生に相談してもだれも聞いてくれる人はいませんでした。
ほんとうに先生達のことも大嫌いでした。
でもいじめをしている奴らの前では絶対に泣きませんでした。
泣いたら負けやとおもってたので、帰り道まで我慢するか家着いてからないていました。
でも限界がきて不登校気味になりました。テスト期間だったけど勉強どころではありませんでした。
でもテストを受けないと成績にかかわるのでいやいやながらも行きました。
不運なことに出席番号順に並ぶといじめの主犯格の2人が前の席と後ろの席で挟まれてしまいます。自分の苗字も大嫌いでした。
不登校気味になってからお母さんが学校に主犯格の男子とその母親を呼び出し担任の先生も交えて話をすることになりました。そこからはまだましになりました。
そして3年生になりいじめをしていた奴らとは別のクラスになり、あらいぐまちゃんと同じクラスになれたので3年生はいじめもなく楽しく過ごせました。
本当にいじめを受けている間は精神的に参ってしまうし、小学生の時の活発な性格ではなくなってしまいました。
中学の間はほんとうに笑うことができない時もあったけどいまはちゃんと笑うことができるのでだいぶ回復しています。
でも思い出しては病んでしまうこともまだ時々あります。
ながながとすみません
でも私のことを知っていてほしいのでここに書きました。
たまに暗い顔になってるときはこのことを思い出してしまっているときか、ほかに嫌なことがあったときです。
結構人間不信になりがちなのもこれのせいです。
でもリアルの人間には知らない人ばかりなので誤解されがちです。
いじめられてたという事実だけで人の見る目は本当に変わります。
なのでリアルの友達には誰にも言っていません。
というのが私の中学生時代です
本当に暗い話ですみません
思い出すだけでもつらいものがありますね(笑)
次回は高校を卒業してからの話をしようと思います。