いきなり図書館王子の彼女になりました
 12月21日。午後4時。

 カランカラン、と、カフェ『未来志向』のドアの鈴音が鳴り響く。

 土居君のピアノ生演奏が美しく響き渡るこのお店に、思いがけないお客様が現れた。

「沙織さん、お久しぶり」

 紫色のウールコートにベージュのマフラーを巻いた、神原先生だった。

「お久しぶりです、先生!」

 最近ペンネームを『神原彩月』に戻した彼女は、『小説文新』という雑誌でついに新連載『マントル』を書き始めた。

 相変わらずお綺麗で、さらに美魔女っぷりに磨きがかかっている。

 私はカウンターの中から急いで駆け寄り、先生に挨拶をした。

「いつも、『マントル』を楽しみに読ませていただいてます!」

「ありがとう、沙織さん。…ちょっとお願い、私をどこかに隠してくれないかしら…?」

「…………隠す?」

 先生は私に、こっそりと耳打ちした。
「追われてるの。編集者に」

「...!」
 私は急いで先生に一番奥の席を案内し、水とおしぼりを運んだ。

「この席は、窓からもドアからも見えないので、しばらくゆっくり出来ると思います」

 先生は深いため息をつきながら、少し落ち着いた様子になり、

「...助かったわ、沙織さんに会えて良かった!」
私を見て安心した様に微笑んだ。

「前からずっと、このお店に来たかったの。沙織さんが働いているって司から聞いてたから」

「嬉しいです!来ていただいて」

 カウンターに戻って高野さんに報告すると、今度は高野さんが先生の席に、出来立てのアールグレイを運ぶ事になった。

 先生としばらく話が弾んだ高野さんは、なかなかカウンターに戻って来なかった。

「…ごゆっくり、おくつろぎ下さい」
 という最後の声だけが、こちらに聞こえて来る。

 やっとカウンターに戻って来た高野さんに、

「高野さん、先生と何を話していたんですか?」
と思わず聞いてしまうと、

「気づかれたみたいなんだ。先生が審査員をしている賞に、俺が応募した事に」

「ええっ?!」

 高野さん、小説また書き始めたんだ!

「表現がとても良かったとお褒めいただいたよ。…受賞できるかどうかはまだ、全然分からないけど」

「すごい!…私も読んでみたいです」

 高野さんは、凄く照れた様に

「いつかね」
と笑った。

「今、イケメン彼氏がいるみたいだよ、神原先生。週刊誌に写真付きで、大きく取り上げられてた」

「どんな人ですか?」

 高野さんは腕組みをしながら一生懸命思い出そうとした。

「あの写真の感じだと、…相当若いな。多分」

 オジサンは悲しいな…と高野さんが独り言を呟いたその時、カランカラン、と、また入口のドアの音が響いた。

 高野さんは小声で、今入店したばかりの新しいお客様の方を見ながら

「あんな雰囲気かも。神原先生の彼氏」
とこっそり呟いた。

 私はそのお客様を見て、仰天した。

 制服姿の黒木君だった。

「黒木君…!いらっしゃい。…ここに来るの、珍しいね?」

 ますます大人っぽさに磨きがかかり、ネクタイだけを外したジャケット姿は、高校生というよりはエリートサラリーマンの様に見えてしまう。

 まさか黒木君が、神原先生の…?
 …いやいやいや、まさかまさか。

「ああ。…お前に報告があってな」

「報告?」

 私はカウンター席に座った黒木君に、水とおしぼりを出した。

「…付き合う事にした」

 ……付き合う?

「…誰と?!!」

 …まさか、神原先生…じゃ、無いよね…?!!


「風間と」

 …………!!!

「これからここに来る」


 私はそれを聞くと風間さんの笑顔を思い出し、嬉しさが心から沸き上がってきた。

 カランカラン!
 再び『未来志向』のドアが開く。

 現生徒会長のツインテール美少女・風間珠漓さんが、『未来志向』に初めて足を踏み入れた。

「風間さん、いらっしゃい!」

 雪解けの春の様な微笑を浮かべながら。

「こんにちは、有沢さん。お久しぶりです」

 土居君のピアノが、タイミング良く『Someday My Prince Will Come~いつか王子様が』をジャズタッチで奏で出す。

「久しぶり!…おめでとう、二人共!!」

 二人はカウンターに仲良く隣り合わせで座り、顔を見合わせて少し恥ずかしそうに笑った。

 …すごくお似合いの二人!
 どっちから告白したんだろう…。

 風間さんにカプチーノ、黒木君にホットコーヒーを運ぶと、私は二人に聞いてみた。

「二人は23日の、演劇部のクリスマス公演は観に行くの?」

「ああ」

「観に行くというよりは、問題が起こらない様に厳戒態勢で見回らなくてはなりません」

「そうなんだ…」

 大変なんだな、生徒会役員は。

「ああいうイベントの際は、実は気を抜けないんです」

 黒木君はコーヒーを口にしながら呟いた。

「…俺はお前とデートのつもりだったが」

「…!…何を言っているんですか。黒木先輩も少しは協力して下さらないと…」

「俺はもう生徒会役員ではない」

 黒木君は風間さんだけを見つめ、意地悪い表情で微笑みかけた。

「お前の頼み方によっては、協力を考えてやらない事も無いが」

 風間さんは黒木君の熱視線を受け止めながら、みるみるうちに顔を真っ赤にした。

「…………!」

「あと、その『先輩』という呼び方はやめろ」

「………では、…何と呼べば…」

「『遼河』だ」

「…………」

「…………呼べ。早く」

「遼河さん」

「…………」

 黒木君は風間さんの前髪に、自分の指を絡めながら、

「…ああ、それでいい」

 嬉しそうにこう言った。






 …………あのう。







 …………私もいるんですけど。












「沙織さん」
 会計を済ませてコートを羽織った神原先生から、声がかかった。

「あ、もうお帰りですか?」

 先生は自分の携帯電話を指差した。編集者らしき人からの着信が沢山入っている画面を見せてくれている。

「…そろそろ限界みたい。…また来てもいい?」

「もちろんです!お待ちしていますね」

「あ、そうだ沙織さん。司に伝えておいてくれる?私、明後日から一週間取材で海外に行くから、その間ならいいわよって」

 …何の事だろうか。

「わかりました。お伝えします」



「司をよろしくね、沙織さん」


 先生は微笑んで、ドアの外へと行ってしまった。





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