いきなり図書館王子の彼女になりました
神原先生は、サインを書き終えた保存用の本を私に戻すと、彼に向かって笑いかけた。
「あなたは元気?…司」
彼は頷いた。
「最近は元気」
その表情からは、何の感情も読み取れない。
司君、先生とどういう関係なんだろ……。
先生は彼に、握手をしようと手を差し出した。
彼はじっと、その白い手を見つめてこう言った。
「もう、いつでもあの家に戻って来ていいよ。明日引っ越すから」
「そうなの」
…家?
司君と先生は以前、同じ家に住んでいた…?
「…あら、あなたは本を持っていないの…?」
そう聞かれた彼は、先生と軽く握手をしながら、小さくため息をついた。
「持っているけど今は無い。今日は元々、ここに来るつもり無かったし。…じゃ、またね」
そう言い終わると彼はこちらを見て、再び私と手を繋ぎ直した。
そして元の表情に早変わりして、にっこりと笑う。
「行こ!」
「…あ、うん…」
彼は先生の方を振り返らずに、小さな声でこう言った。
「…体に気を付けて」
私はこちらに向かって手を振ってくれている先生に一度だけお辞儀をして、彼に手を引かれながら、その場を後にした。
手を繋いだままエスカレーターで下の階に降り、1階の書店の中を二人で通り抜け、正面の入り口から外へ出て東京駅へと歩いて向かった。
私にだけ伝わっている、彼の手の微かな震え。
ずっと緊張しているような、すごく張りつめた様子で、あの時彼は先生と話していた。
聞きたい事も伝えなきゃならない事も山ほどあったけれど、今だけは彼に、何も話しかけられなかった。
「…もう日が暮れて暗くなってきたし、家まで送ります。駅はどこですか?」
笑顔を絶やさず、私に話しかける司君。
「…そんな。悪いよ…」
その表情は何だか、笑っているのにとても寂しそうに見えた。
無理して笑顔を作らなくて、いいのに。
「僕が送りたいから。もう少し沙織さんと一緒にいたいし、いいでしょう?」
そんな風に言われたら、お願いするしか選択肢が無い。
私は彼に頭を下げ、駅名を伝えた。
地下鉄の中、吊り革を掴みながら彼は横に立つ私に聞いてきた。
「…何も聞かないんですね」
…聞きたいけど。
触れて欲しく無い事だったら、…悪いし。
私は暗くて何も見えない窓の外を見つめながら、返事をした。
「…言いたくなったら、教えて?」
「…うん」
彼は頷き、しばらく無言になった。
沈黙が長く続いたので心配になり、私はふと、窓に映る彼の顔を見た。
彼は、大粒の涙を流していた。
私はぎょっとして吊り革から手を離し、彼の方を見た。
「…大丈夫?」
「…うん」
彼は両目から流れる涙を自分で拭おうともせず、はらはらと流しっぱなしにしている。
私は慌てて鞄からピンク色のタオルハンカチを取り出し、彼に差し出した。
「使って」
彼は私からハンカチを受け取ると、深く長い息を切れ切れに吐きながら、頬を伝う涙を拭いた。
「…ありがとうございます。…これ、洗って明日返しますね」
私は首を横に振った。
「いつでも大丈夫だよ。明日は開校記念日で学校はお休みだから、会えないし」
「…そっか」
目的の駅に着いたので、地下鉄を降りた。
改札を出て、駅から徒歩7分の場所にある、私が現在住んでいる『シェアハウス深森』へと向かう。
クリスマス仕様にサンタクロースやトナカイなどの華やかで楽しげな装飾でライトアップされた住宅が、整然とに並んでいる。
この綺麗で閑静な住宅地の中を、手を繋いだまま無言で歩いた。
司君は、急に私にこう言った。
「神原彩月は、僕の母なんです」
「…」
「ちょっと色々あって、今は別々の場所に住んでいますけど」
「…そうだったの…」
それなのに、
お母さんに会う事が分かっていながら、
私と一緒に、サイン会に行ったの…?
どうして…?
「ごめんなさい。沙織さん」
彼は私の方を見ずに、謝った。
「…どうして謝るの?」
「心配したでしょう…泣くつもりは無かったのに。沙織さんの前で」
その時『シェアハウス深森』に、到着してしまった。
「ここなの」
私は入口に立っている古びた木目調の看板と、クリーム色の煉瓦造り風外壁が印象的な、大きな屋敷に見える一軒家を指差した。
何とか彼を元気づけたくて、私はその時思いついたことを咄嗟に言った。
「…私の前でなら、いつでも好きな時に泣いていいよ。…送ってくれてありがとう!」
彼は焦点が合わない雰囲気の視線を私に向け、そして『シェアハウス深森』の看板を眺め、建物の外観をボーっと見つめながら、その場に立ち尽くしていた。
「…どうしたの?」
また、司君の様子がおかしい。
「『シェアハウス深森』…?」
「うん、シェアハウス!友達と私は高校に入学した時からここに住んでいるの。住人皆で過ごす時間が楽しくてね、とってもいい所なの」
「へえ…」
彼は、私の方に視線を戻した。
「今日は、本当にどうもありがとう。司君」
彼と繋いだままだった手を、つい見つめてしまう。
「すごく、楽しかった。また明後日、学校でね!」
私達は繋いだ手を離した。
急に広がる
あの柑橘系の、いい香り。
……!
いきなり私を引き寄せた彼の
腕の中でギュッと、抱き締められた。
「僕も楽しかった」
………!!!
………動悸が!!!!!!
体中が心臓になったように鳴る!!!!!!
「多分明日も会えるよ、沙織さん」
「…???」
彼は潤んだ瞳でしばらく私を見つめてから、
私の頬に、そっとキスをした。
「…おやすみなさい」
至近距離で、切なそうに微笑む彼。
「…おやすみなさい」
触れられた頬から全身に広がる、熱。
歩き去る彼の後ろ姿がまた、カッコ良過ぎ。
思わず家の中に入るのを忘れ、彼の姿が見えなくなるまで見とれてしまっていた私。
そして急にまた、思い出す。
何一つ、解決出来なかった事。
壮大な心の迷路の奥深くに、放り出されたままの私。
「あ~~~!!!」
私は叫びつつ、頭を抱えながら玄関へと向かった。
「あなたは元気?…司」
彼は頷いた。
「最近は元気」
その表情からは、何の感情も読み取れない。
司君、先生とどういう関係なんだろ……。
先生は彼に、握手をしようと手を差し出した。
彼はじっと、その白い手を見つめてこう言った。
「もう、いつでもあの家に戻って来ていいよ。明日引っ越すから」
「そうなの」
…家?
司君と先生は以前、同じ家に住んでいた…?
「…あら、あなたは本を持っていないの…?」
そう聞かれた彼は、先生と軽く握手をしながら、小さくため息をついた。
「持っているけど今は無い。今日は元々、ここに来るつもり無かったし。…じゃ、またね」
そう言い終わると彼はこちらを見て、再び私と手を繋ぎ直した。
そして元の表情に早変わりして、にっこりと笑う。
「行こ!」
「…あ、うん…」
彼は先生の方を振り返らずに、小さな声でこう言った。
「…体に気を付けて」
私はこちらに向かって手を振ってくれている先生に一度だけお辞儀をして、彼に手を引かれながら、その場を後にした。
手を繋いだままエスカレーターで下の階に降り、1階の書店の中を二人で通り抜け、正面の入り口から外へ出て東京駅へと歩いて向かった。
私にだけ伝わっている、彼の手の微かな震え。
ずっと緊張しているような、すごく張りつめた様子で、あの時彼は先生と話していた。
聞きたい事も伝えなきゃならない事も山ほどあったけれど、今だけは彼に、何も話しかけられなかった。
「…もう日が暮れて暗くなってきたし、家まで送ります。駅はどこですか?」
笑顔を絶やさず、私に話しかける司君。
「…そんな。悪いよ…」
その表情は何だか、笑っているのにとても寂しそうに見えた。
無理して笑顔を作らなくて、いいのに。
「僕が送りたいから。もう少し沙織さんと一緒にいたいし、いいでしょう?」
そんな風に言われたら、お願いするしか選択肢が無い。
私は彼に頭を下げ、駅名を伝えた。
地下鉄の中、吊り革を掴みながら彼は横に立つ私に聞いてきた。
「…何も聞かないんですね」
…聞きたいけど。
触れて欲しく無い事だったら、…悪いし。
私は暗くて何も見えない窓の外を見つめながら、返事をした。
「…言いたくなったら、教えて?」
「…うん」
彼は頷き、しばらく無言になった。
沈黙が長く続いたので心配になり、私はふと、窓に映る彼の顔を見た。
彼は、大粒の涙を流していた。
私はぎょっとして吊り革から手を離し、彼の方を見た。
「…大丈夫?」
「…うん」
彼は両目から流れる涙を自分で拭おうともせず、はらはらと流しっぱなしにしている。
私は慌てて鞄からピンク色のタオルハンカチを取り出し、彼に差し出した。
「使って」
彼は私からハンカチを受け取ると、深く長い息を切れ切れに吐きながら、頬を伝う涙を拭いた。
「…ありがとうございます。…これ、洗って明日返しますね」
私は首を横に振った。
「いつでも大丈夫だよ。明日は開校記念日で学校はお休みだから、会えないし」
「…そっか」
目的の駅に着いたので、地下鉄を降りた。
改札を出て、駅から徒歩7分の場所にある、私が現在住んでいる『シェアハウス深森』へと向かう。
クリスマス仕様にサンタクロースやトナカイなどの華やかで楽しげな装飾でライトアップされた住宅が、整然とに並んでいる。
この綺麗で閑静な住宅地の中を、手を繋いだまま無言で歩いた。
司君は、急に私にこう言った。
「神原彩月は、僕の母なんです」
「…」
「ちょっと色々あって、今は別々の場所に住んでいますけど」
「…そうだったの…」
それなのに、
お母さんに会う事が分かっていながら、
私と一緒に、サイン会に行ったの…?
どうして…?
「ごめんなさい。沙織さん」
彼は私の方を見ずに、謝った。
「…どうして謝るの?」
「心配したでしょう…泣くつもりは無かったのに。沙織さんの前で」
その時『シェアハウス深森』に、到着してしまった。
「ここなの」
私は入口に立っている古びた木目調の看板と、クリーム色の煉瓦造り風外壁が印象的な、大きな屋敷に見える一軒家を指差した。
何とか彼を元気づけたくて、私はその時思いついたことを咄嗟に言った。
「…私の前でなら、いつでも好きな時に泣いていいよ。…送ってくれてありがとう!」
彼は焦点が合わない雰囲気の視線を私に向け、そして『シェアハウス深森』の看板を眺め、建物の外観をボーっと見つめながら、その場に立ち尽くしていた。
「…どうしたの?」
また、司君の様子がおかしい。
「『シェアハウス深森』…?」
「うん、シェアハウス!友達と私は高校に入学した時からここに住んでいるの。住人皆で過ごす時間が楽しくてね、とってもいい所なの」
「へえ…」
彼は、私の方に視線を戻した。
「今日は、本当にどうもありがとう。司君」
彼と繋いだままだった手を、つい見つめてしまう。
「すごく、楽しかった。また明後日、学校でね!」
私達は繋いだ手を離した。
急に広がる
あの柑橘系の、いい香り。
……!
いきなり私を引き寄せた彼の
腕の中でギュッと、抱き締められた。
「僕も楽しかった」
………!!!
………動悸が!!!!!!
体中が心臓になったように鳴る!!!!!!
「多分明日も会えるよ、沙織さん」
「…???」
彼は潤んだ瞳でしばらく私を見つめてから、
私の頬に、そっとキスをした。
「…おやすみなさい」
至近距離で、切なそうに微笑む彼。
「…おやすみなさい」
触れられた頬から全身に広がる、熱。
歩き去る彼の後ろ姿がまた、カッコ良過ぎ。
思わず家の中に入るのを忘れ、彼の姿が見えなくなるまで見とれてしまっていた私。
そして急にまた、思い出す。
何一つ、解決出来なかった事。
壮大な心の迷路の奥深くに、放り出されたままの私。
「あ~~~!!!」
私は叫びつつ、頭を抱えながら玄関へと向かった。