30
「いらっしゃいませ」

カウンターの向こうからマスターが声をかける。
チカと同年代くらいだろうか。

店内は暗く狭いけれど、レトロな趣のある趣味のいいバーだ。
ムードのある音楽が流れている。
このての曲をまったく知らないチカでも少し酔いしれてしまう。

カウンターに座るとマスターが「なににしますか?」とチカに聞く。

カクテルなどには疎いので「おすすめ」でお願いすることにした。

「わかりました」

カクテルができあがるまでしばらく
残りの仕事を片付けてしまおうか、明日でもいいか…と
考えていたけれど結局、時間を無駄にはしたくないので仕事を片付けることにした。

「できあがりました」

ノートパソコンをとじる。

マスターから受け取ったカクテルはきれいな薄いピンクだった。
そっと、口をつけてみるとさわやかな苺の味が口のなかに広がった。

(カクテルって意外と飲みやすいんだな…)

マスターと目が会う。

黒髪にスッとした輪郭、きれいに整った中性的な面立ち。

チカは急いで目をそむける。

「お客様は初めてのご来店ですよね」

マスターが話を切り出す。

「あ…はい、雰囲気のいいお店だったので…」
「それはそれは、ありがとうございます。」

その時、店の時計がなった。

ボーン、ボーン…

「あ、え…もう0時?」
「お急ぎのようでも?」
「ああ、いえ、今日の0時で私って30になるんですよ」

つとめて、にこやかに答える。
ある程度、年齢を重ねれば分かる。
こういうときにでる言葉は大抵「30に見えない」や「若く見える」のお世辞だ。
時々「もう○歳か」などの不躾な言葉を言うやつまでいる。……上司だが。

マスターはにこりと笑った。

「お誕生日、おめでとうございます」

チカはなんとなく拍子抜けした。
この年齢になると誕生日など嬉しくはないが「おめでとう」と言われるとなんだか嬉しくなる。

「ありがとうございます!」
チカは勢いよく立ち上がり、カウンターに膝をぶつけた。

「いたた…」

マスターはそれを見て軽く笑う。

そして言う
「私からもう一杯、プレゼントさせてください」 
「…?カクテルをですか?」
「はい」
「いや…悪いですよ!今日、初めて来たのに…」
「いいんですよ、ご来店記念だと思って…そのかわりこれからも来てくださいね」

マスターの中性的な顔がミステリアスな笑顔を浮かべている。

「…はあ…じゃあ、お言葉に甘えて…」

(実は私お酒はあまり得意じゃないのよね)

それでも、できあがったカクテルはとてもきれいだった。

上から薄いブルー、そしてどんどん濃いブルーへとグラデーションになっている。

味も先程とは違い、ほどよく甘いが爽やかな後味を残すチカの好みのカクテルだった。

と、そのときスマホが点滅しているのに気づいた。

「あ、ヤバイ!LINE見るの忘れてた!」

上司からだった。どうやら、また新しい仕事が入ったらしい。
しかもそれは、入社したときからチカが手掛けたかった夢のような案件!

チカはその場で叫びそうになった。
これは、すぐにでも取りかかりたい。まずは、残りの仕事を片付けて…

「マスター!今、仕事が入ったの…ずっと取りかかりたい案件が回ってきて…」
「すごいですね、もう誕生日プレゼントが2つも」

チカはあまりの嬉しさに距離感を忘れてマスターの顔を覗きこんだ
「ええ、このカクテル、すごく美味しかったです」
「…!それはよかったです」

心なしかマスターの顔が赤らんで見えたがもちろん、チカは気づかない。

「あの!カクテルありがとうございます!また来ますから!」
< 3 / 4 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop