きみに光を。あなたに愛を。~異世界後宮譚~

第10話:アセナとサヤン。

「アセナ、なんでここに?」

 サヤンは近くの屋台で果物を搾った飲み物を買い、アセナに渡した。ゆっくりと口に含むと柑橘のやさしい甘さが体に染みていく。

「美味しい。ありがとう。一緒に来てた人とはぐれちゃったの。人ごみに慣れなくて」
「まぁ市場(ここ)は人が多いしな。ウダとは違うもんなぁ。……久しぶり。元気そうで良かった」
「サヤンも。なんか大人になったね」
「まぁね? 最後に顔を合わしてから四年たってるしね。そりゃあ変わるさ。アセナも綺麗になった」

 アセナとサヤンは顔を見合わせて微笑んだ。

 二人はウダの郷で育った。
 そう人口の多くない郷で同じ年・同じ日に生まれた二人。十五歳になる年まで、ほぼ毎日のように顔を合わし、励ましあいながら厳しい環境で生きていた。

 会わなかった四年間。
 見ない間にサヤンは少年から青年になっていた。もともと背は高かったが、体の線が太くなり精悍に、よりしなやかでそして鋭い。
 まるで豹のようだ、とアセナは思った。

「サヤンは? どうしてここにいるの?」
「俺は仕事だよ。徴兵されている間に将軍に目をかけていただけて、徴兵開けはそのまま近侍として勤めているんだ。将軍が帰都されたので一緒に来たんだよ」
「わぁすごいね! 将軍の近侍だなんて。大出世じゃん」
「まぁね。超がんばったし。……それでアセナは? 首都の……どこかの、その……娼館(みせ)にいるの?」

 サヤンは言いづらそうに聞く。
 郷長(さとおさ)である父親から、先の大飢饉の折、アセナが女衒に身を売ったというのを聞いていた。
 女衒に売られる――身売りされた女性の行く末は、娼館の娼婦かうまく行けば富豪の妾か、いずれにしろ自らの体で男の性欲を満たさねばならない厳しい仕事をせねばならない。

 父親の手紙でそのことを知らされたのは、徴兵された二年目の冬。東国との国境線警備の任についていた時であった。

 サヤンはすぐにでも助けに行こうと考えた。
 だがこの国の男子は成人となる十五歳から三年間、国の兵士として勤めることが義務づけられている。その間は任務から離れることは出来ない。

 幼馴染が男の欲望に蹂躙されると分かっているのに、何も出来ない言いようもない無力さ。絶望。
 サヤンはその時より怒りを力に替え、絶望は体の奥底に沈めて潜むようにして生きてきたのである。

「うーん。私ね、娼館ではなくて後宮にいるの。女衒から後宮の宦官頭に買い取られてね、そのまま宮女として勤めているの」
「下女でなく、皇帝陛下の妃として?」
「そう。数多く居る下位の妃の一人よ」
「そっかぁ……」

 サヤンは寂し気に笑う。

「アセナがもし娼館に勤めていたら、なんとしてでも身受けしようと思ってた。必死に仕事して金ためて仕事の合間に探してたんだよ。いくら探しても見つからないはずだ」

 癖のある黒髪をかき上げ長いため息をついた。

「よりによって帝室の後宮かぁ……はぁきっついなぁ」
「サヤン……」

 アセナは苦笑した。
 幼い頃からアセナはサヤンが好きだった。あれは初恋だったのだと思う。
 郷では数少ない同年代の異性サヤン。
 淡く揺れる暖かい感情はとても心地よかった。
 子供のころは成人したらきっとサヤンと結婚するのだろう、郷で子を産み生きていくのだろうと思っていた。
 今となっては儚く消えてしまったが。

 そしてもうアセナの心を揺らす存在は別にいた。

「『太陽の子(メフルダード)』であることが、アセナの運命を変えてしまったのかな。瞳の色が変わっているだけなのに。普通の人間と変わらないのにな」

 サヤンはアセナの前髪を左右に分けて、瞳を覗き込んだ。

「ね。私は私なのにね」

 サヤンはアセナの頬に手を当てた。アセナも手を添える。温かい、何も知らない昔に戻ったような気がする。ウダの郷の懐かしい日々はもうずいぶん遠くへ行ってしまった。

「アセナ、動かないで?」

 突然サヤンは身を翻しアセナを往来から隠すように覆いかぶさる。
 鈍く光を反射する何かがサヤンの首筋を這う。

 ――抜き身の短剣だ。

 一筋の血が浅黒い肌を伝う。

「サヤン!?」

 アセナはサヤンの後ろに怒りを湛えた長身の影を見止める。

「シャヒーンさん!」
「そのお方から手を放してもらおうか」

 シャヒーンが低く冷たく言い放った。
 アセナの姿を見失ったのに気づき、すぐに見つけ出したが、この事態。
 身分を伏してはいるがアセナは後宮の妃、さらにいうなれば皇帝の寵がかかる“特別な妃”だ。一般庶民が触れていい存在ではない。

「……剣をお収めください。アセナ様に害を為す事はいたしません」

 サヤンは振り返ることなく殺気を放つシャヒーンに肩越しに語りかける。穏やかだがどこか不敵な声である。

「貴方様は近衛第一師団中隊長シャヒーン様でいらっしゃいますね?」
「――お前、何者だ」

 シャヒーンは短剣を鞘に収め、サヤンを睨みつけた。
 短剣が収められたことを確認し、サヤンはしなやかに体を転じシャヒーンに一礼する。

「私はサヤン・ウダ=スナイと申します。カヤハン・エリテル将軍閣下の近侍でございます」
「エリテル将軍の? ここで何をしている?」
「閣下の命を受けまして動いておりました。任務遂行中のところ、気分の優れない女人がおられましたので、つい手を差し伸べた次第でございます。その女人がやんごとなきご身分の方だとは思いもよりませんでしたが」

 サヤンの深い碧眼がきらめいた。
 黒い髪に特徴的な碧眼。整った容姿。そしてこのそら恐ろしい豪胆さ。

 シャヒーンの背に冷たい汗が伝わった。
 サヤンの碧い目が語っている。
 この程度が皇帝の近衛とは底が知れる、と。

(……これがウダの民か。古の戦士の末裔、血は受け継がれるものだな)

 シャヒーンは眉を忌々しげに動かした。大失態なのはすでに自覚している。

「礼を言う。助かった、ウダ=スナイ。閣下にもお伝えしておく」
「それには及びません。何事もございませんでしたから。ところでシャヒーン様がいらしているということは、おそらく私の主がおられる場と向かう先は同じでしょう。ご一緒させていただいてもよろしいですか?」
「――助かる」

 自分よりも年若く見えるのにこの胆力と身のこなしは並大抵の者ではないだろう。歴戦の英雄エリテルの近侍として用いられるのも納得だ。
 護衛としては一流。ただ同行させることで上級武官である自分の顔は潰れてしまうが。

(いたしかたない)

 シャヒーンはしぶしぶ合意し、皇帝が待つ場へと向った。
< 11 / 38 >

この作品をシェア

pagetop