きみに光を。あなたに愛を。~異世界後宮譚~
第5話:カルロッテは確信する。
第三位皇妃の宮はこの数時間で見違えるように華やかに飾られた。
この宮の主人の如く、平素は清白で他の皇妃の宮よりも控えめでささやかな雰囲気であるが、今日は豪奢というほかない。
中庭の中心、東屋には向こうが透けて見えるほど薄く細やかに織られた綿織物がつられ、水晶飾り付きのタッセルが夏の日差しを反射してキラキラと煌いていた。
東屋に沿うように張られた天幕には、絨毯がひかれ快適な空間となっている。
今朝まで東屋しかなかった空間をここまでに仕上げた宦官と女官の技量は誇るべきものだろう。
忙しく動き回る女官や宦官をよそに、無位の妃たちは天幕の中でおしゃべりに夢中だった。
皇帝の来宮、さらに無位の妃の同席も許可されるなんてことは今まで一度だってなかった。
自分を売り込む大きなチャンスとばかりに、妃たちは手持ちの衣装で一番良いものを着込み希望に燃えた顔をしてる。
……1人を除いて。
「ねぇアセナ、皇帝陛下どんな方かしら?」
隣に座る同僚の無位の妃がアセナに話しかけた。
「さぁ、私も良く分からない。素敵な方だろうなとは思うわ」
「アセナはカルロッテ様のお世話してるじゃない。陛下とお会いすることとかないの?」
「うん、ほとんどないよ。陛下がお戻りになられてから、お世話に上がるから」
(一度だけあるけど。しかも昨夜だけど)
キリキリと胃が痛む。
「はやくお会いしたいわ」
「そうね」
アセナは愛想よく笑った。
お付きの宦官リボルに散々諭され、なんとか支度はしたものの、ただただ気が重い。不運を嘆きながらゆるゆると胃の辺りをさすった。
ちょうど準備を終え寝室から現れたカルロッテは、アセナの顔を見るなり柳眉をゆがませ、
「冴えない顔をしてるわね? アセナ」
「カルロッテ様。実は今朝から少し胃の調子が良くないのです」
「あら、それは心配ね。陛下がお戻りになられたら、医者を遣わすわ。大事になさいね」
今日のカルロッテはいつにもまして繊細で可憐だ。
異国風のドレスと丁寧に結い上げられたやわらかな金髪に真珠の飾りを散らした様は、まるで女神のようである。
こんな方を妃にできるなんて陛下は幸せ者だわ、とアセナは胃の痛みも忘れ微笑んだ。
程なくして行政棟から来た使者により、皇帝の来宮が告げられた。
「アスラン・パッシャール陛下のおなりでございます」
甲高い宦官の声が第三位の宮に響き渡る。
間を置かず皇帝アスラン・パッシャールは姿を現した。
陽の下で見るアスランは堂々とした体躯に絹織物の豪華な袷を身にまとい、如何にも皇帝然としている。
決して珍しい訳ではない濃い茶色の髪と黒い瞳すら、神々しい。
文官らしき側近二人そして年老いた学者風の男を伴い大股で歩を進める姿は、勇ましく見るものを惹き付けてやまない。
「なんて凛々しいのかしら」
無位の妃たちのため息が漏れた。
アスランがテントの前で歩を止めると、カルロッテが深く頭を下げ迎えた。
「今日も美しい。カルロッテ」
「お褒め頂きありがとうございます。ようこそいらっしゃいました。陛下。お待ちしておりました」
「無理を言ったな」
「いいえ、陛下。御訪問いただき嬉しく存じますわ」
カルロッテはアスランを東屋に案内すると宦官に食事の用意を指示し、自らも用意された席に座した。
「陛下が陽も高いうちに後宮にいらっしゃるなんて、珍しい……いえ、初めてのことですわね」
「愛でている妃に昼間も会いたいと思うのは悪いことか?」
「まぁ!」
カルロッテは一呼吸おき、不適な笑みを浮かべた。
「……心にも無いことをおっしゃられること」
「冷たいな、わが皇妃よ。時間を割いてこちらに来たというのに」
アスランはカルロッテの言いぶりを気にもしない様子だ。
宦官が湯気の上がる料理をアスランとカルロッテの前に並べ始めた。
羊肉のロースト、焼き飯、ブドウの葉の包み焼き、ヨーグルトのサラダ。パシャの伝統的な食事だ。
宦官が取り分け、アスランに差し出した。
アスランは羊肉を手に取り口に運びながら言う。
「カルロッテに世辞はいらぬか。実はな、この宮にウダ族の娘がいるのを昨日知ったのだ。今朝になってわが国の賢者・老ヘダーヤトにぜひ会わせてみたいと思い立った。作法に反するがな、許せ」
後宮に男性を連れ込むという禁を自ら破ったことをカルロッテに詫びると、アスランは後ろに控えた側近と老人に目をやった。
皇帝に重用されるのも納得がいく雰囲気の壮年の男性と皇帝と同年代の男性、そして老人が会釈をする。
「陛下、ウダ族とは何でございましょう?」
カルロッテは首をかしげる。
異国出身の皇妃は未だパシャ事情に冥い。
ウダ族とはパシャ帝国の辺境に住む少数民族でございます、とカルロッテにアスランの側近の1人が補足した。
「ウダ族は稀有な存在だ。俺もウダに関しては知識が薄い。学んでおきたいと考えていたところに、パシャの歴史に詳しいヘダーヤトがちょうど隠遁先から出仕してきた。いい機会だと連れてきた」
「左様でございましたか。ウダの民……そのような者がいたかしら」
「ウダの民は『ウダの碧玉』という風変わりな、けれどもとても美しい瞳と黒髪が特徴でございます。皇妃様」
白々とした長い顎鬚を蓄えた老人――ヘダーヤトは進み出た。
「とくに光の具合で色変わりする瞳の者は“先祖がえり”と称しまして、古来よりパシャ帝室では尊重されております」
カルロッテには思い当たりがあった。
たった一人、条件にあう宮女がいる。
「……無位の妃アセナでございますか?陛下」
「あぁそうだ」
アスランは頷いた。
(無位は謁見の資格がなかったはずだけど、昨晩お早くお帰りだったから、そこで顔を合わしたのかしら。アセナも調子悪そうだったし……この方、何かなさったのね)
カルロッテはそしらぬ振りをすると決め、たおやかに言った。
「隣に控えております。呼びましょう」
この宮の主人の如く、平素は清白で他の皇妃の宮よりも控えめでささやかな雰囲気であるが、今日は豪奢というほかない。
中庭の中心、東屋には向こうが透けて見えるほど薄く細やかに織られた綿織物がつられ、水晶飾り付きのタッセルが夏の日差しを反射してキラキラと煌いていた。
東屋に沿うように張られた天幕には、絨毯がひかれ快適な空間となっている。
今朝まで東屋しかなかった空間をここまでに仕上げた宦官と女官の技量は誇るべきものだろう。
忙しく動き回る女官や宦官をよそに、無位の妃たちは天幕の中でおしゃべりに夢中だった。
皇帝の来宮、さらに無位の妃の同席も許可されるなんてことは今まで一度だってなかった。
自分を売り込む大きなチャンスとばかりに、妃たちは手持ちの衣装で一番良いものを着込み希望に燃えた顔をしてる。
……1人を除いて。
「ねぇアセナ、皇帝陛下どんな方かしら?」
隣に座る同僚の無位の妃がアセナに話しかけた。
「さぁ、私も良く分からない。素敵な方だろうなとは思うわ」
「アセナはカルロッテ様のお世話してるじゃない。陛下とお会いすることとかないの?」
「うん、ほとんどないよ。陛下がお戻りになられてから、お世話に上がるから」
(一度だけあるけど。しかも昨夜だけど)
キリキリと胃が痛む。
「はやくお会いしたいわ」
「そうね」
アセナは愛想よく笑った。
お付きの宦官リボルに散々諭され、なんとか支度はしたものの、ただただ気が重い。不運を嘆きながらゆるゆると胃の辺りをさすった。
ちょうど準備を終え寝室から現れたカルロッテは、アセナの顔を見るなり柳眉をゆがませ、
「冴えない顔をしてるわね? アセナ」
「カルロッテ様。実は今朝から少し胃の調子が良くないのです」
「あら、それは心配ね。陛下がお戻りになられたら、医者を遣わすわ。大事になさいね」
今日のカルロッテはいつにもまして繊細で可憐だ。
異国風のドレスと丁寧に結い上げられたやわらかな金髪に真珠の飾りを散らした様は、まるで女神のようである。
こんな方を妃にできるなんて陛下は幸せ者だわ、とアセナは胃の痛みも忘れ微笑んだ。
程なくして行政棟から来た使者により、皇帝の来宮が告げられた。
「アスラン・パッシャール陛下のおなりでございます」
甲高い宦官の声が第三位の宮に響き渡る。
間を置かず皇帝アスラン・パッシャールは姿を現した。
陽の下で見るアスランは堂々とした体躯に絹織物の豪華な袷を身にまとい、如何にも皇帝然としている。
決して珍しい訳ではない濃い茶色の髪と黒い瞳すら、神々しい。
文官らしき側近二人そして年老いた学者風の男を伴い大股で歩を進める姿は、勇ましく見るものを惹き付けてやまない。
「なんて凛々しいのかしら」
無位の妃たちのため息が漏れた。
アスランがテントの前で歩を止めると、カルロッテが深く頭を下げ迎えた。
「今日も美しい。カルロッテ」
「お褒め頂きありがとうございます。ようこそいらっしゃいました。陛下。お待ちしておりました」
「無理を言ったな」
「いいえ、陛下。御訪問いただき嬉しく存じますわ」
カルロッテはアスランを東屋に案内すると宦官に食事の用意を指示し、自らも用意された席に座した。
「陛下が陽も高いうちに後宮にいらっしゃるなんて、珍しい……いえ、初めてのことですわね」
「愛でている妃に昼間も会いたいと思うのは悪いことか?」
「まぁ!」
カルロッテは一呼吸おき、不適な笑みを浮かべた。
「……心にも無いことをおっしゃられること」
「冷たいな、わが皇妃よ。時間を割いてこちらに来たというのに」
アスランはカルロッテの言いぶりを気にもしない様子だ。
宦官が湯気の上がる料理をアスランとカルロッテの前に並べ始めた。
羊肉のロースト、焼き飯、ブドウの葉の包み焼き、ヨーグルトのサラダ。パシャの伝統的な食事だ。
宦官が取り分け、アスランに差し出した。
アスランは羊肉を手に取り口に運びながら言う。
「カルロッテに世辞はいらぬか。実はな、この宮にウダ族の娘がいるのを昨日知ったのだ。今朝になってわが国の賢者・老ヘダーヤトにぜひ会わせてみたいと思い立った。作法に反するがな、許せ」
後宮に男性を連れ込むという禁を自ら破ったことをカルロッテに詫びると、アスランは後ろに控えた側近と老人に目をやった。
皇帝に重用されるのも納得がいく雰囲気の壮年の男性と皇帝と同年代の男性、そして老人が会釈をする。
「陛下、ウダ族とは何でございましょう?」
カルロッテは首をかしげる。
異国出身の皇妃は未だパシャ事情に冥い。
ウダ族とはパシャ帝国の辺境に住む少数民族でございます、とカルロッテにアスランの側近の1人が補足した。
「ウダ族は稀有な存在だ。俺もウダに関しては知識が薄い。学んでおきたいと考えていたところに、パシャの歴史に詳しいヘダーヤトがちょうど隠遁先から出仕してきた。いい機会だと連れてきた」
「左様でございましたか。ウダの民……そのような者がいたかしら」
「ウダの民は『ウダの碧玉』という風変わりな、けれどもとても美しい瞳と黒髪が特徴でございます。皇妃様」
白々とした長い顎鬚を蓄えた老人――ヘダーヤトは進み出た。
「とくに光の具合で色変わりする瞳の者は“先祖がえり”と称しまして、古来よりパシャ帝室では尊重されております」
カルロッテには思い当たりがあった。
たった一人、条件にあう宮女がいる。
「……無位の妃アセナでございますか?陛下」
「あぁそうだ」
アスランは頷いた。
(無位は謁見の資格がなかったはずだけど、昨晩お早くお帰りだったから、そこで顔を合わしたのかしら。アセナも調子悪そうだったし……この方、何かなさったのね)
カルロッテはそしらぬ振りをすると決め、たおやかに言った。
「隣に控えております。呼びましょう」