俺様副社長に娶られました
わたしは余計なことを口走ってボロを出さないように無言を貫いた。
お姉ちゃんが働いているホテルは、なにを隠そうシャインガーデンホテルだからだ。

そーっと階段を上って自室に逃げ込もうと忍者のような忍足を一歩踏み出した矢先、再び玄関の引き戸がガラッと勢い良く開いた。


「おお、沙穂! おはよう」


驚いて、猫背に体を収縮させるわたしを大声の相手は不思議そうに見る。


「ごめん、驚かせたか?」
「う、ううん、大丈夫だよ、慎ちゃん」


慎ちゃん、こと鎌田(かまた)慎二(しんじ)は、杜氏見習いとしてうちの蔵で働いている一番の若手だ。
今は冬に搾ったものをフレッシュな春のお酒として出荷する作業をしている。


「女将さん、ラベルが足りないんだけど、もっとある?」
「あーはいはい、たしか直売所にあるわ」


ちゃっかりチケットを自分のエプロンのポケットに仕舞ったお母さんが、忙しなく突っ掛けを履いてパタパタと玄関を出て行った。

朝から怒涛の展開の連続で、一日の終わりみたいにドッと疲れたわたしはようやく家に入り、階段に一歩足を乗せる。
すると。


「沙穂、結婚するのか?」
「えっ……」


ストレートな言葉に、踏み出した足が止まった。

そう、わたしは結婚を控えている。
相手は天川のおじさまの一人息子、天川創平(そうへい)さんだ。

天川のおじさまがうちの蔵に資金提供をする条件として、ぜひ家同士の繋がりを持たせたい、と言い出したのだ。
それにより、おじさまは永久的に北極星を手に入れ続けることができる。

お姉ちゃんかわたしかのどちらかが、天川家の一人息子と結婚するということは、昔からお父さんたちの酒の肴みたいになっていた。
いつか子ども同士がくっ付いて、家同士の繋がりができたら最高ですねって。

それは子どもたちの意思をまったく考慮しない、ただの大人たちの余興のようなものだと思っていたけれど、うちの経営状況の悪化によって単なる絵空事ではなくなった。


「ごめんな。俺たちのせいで」


独り言のような消え入りそうな声を聞き振り返ると、慎ちゃんはまつ毛を伏せて鼻の頭を指先で引っ掻いた。


「ううん……」


わたしは小さくかぶりを振った。
だってほかに、言いようがないからだ。
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