俺様副社長に娶られました
テレビのリモコンを操作してバラエティ番組に替える。独り言増えたなぁ。


『俺に変な気起きさせないように、せいぜい気を付けろよ』


気楽ではある、けど。

実家暮らしの経験しか無いわたしにとっては、特にこんなに広い部屋にたったひとりっていうのは、何日も続くとちょっと心細い。


「でも、明日か明後日には帰って来るんだよね。一緒にインテリアショップとか、付き合ってくれるのかなぁ」


無理だよね、きっとお疲れだし。

残りのカツを食べようと、箸を持ち、大口を開けたときだった。

バタン、ドタドタ、という音が玄関の方から聞こえ、わたしは動きをピタリと止める。

え……創平さん?
帰って来たの⁉︎

リビングに近づいて来る足音が聞こえる。その音が大きくなるにつれ、なにを思ったか焦りすぎたわたしはカツを口元に運んだり丼に戻したりを再三繰り返す、という奇行に走ってしまった。

最後にカツをテーブルに落としたとき、廊下からリビングに通じるドアが開いた。


「すみません、お邪魔します」
「え!」


リビングに入って来たのは、創平さんではなかった。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。秘書の実沢(さねざわ)と申します」


カツをむかい入れる準備万端で口をぽかんと半開きにしたまま、カツばかりか持っていた箸まで落としたわたしに対し、実沢さんは眼鏡のレンズの奥の瞳を柔らかく細めて一礼した。

ホテルでの顔合わせの日にわたしの前に最初に現れたので、創平さんだと人違いしてしまった方だ。


「あ、いえ……川原沙穂です」


魚みたいに口をパクパクさせて、か細い声でわたしは言った。おずおずと立ち上がり頭を下げる。


「突然お邪魔して申し訳ありません。副社長は今夜の会合で取引先の方に相当飲まされまして、もう一晩宿に泊まるよう申し上げたのですが、どうしても今夜中に帰りたいと言われまして」


弱ったように笑いながら、実沢さんは後頭部をポリポリ掻いた。


「は、はあ……」


え、それで、創平さんは?

目を瞬かせていると、実沢さんがハッとしたような面持ちになって、クルッと素早く踵を返した。
< 36 / 117 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop