俺様副社長に娶られました



シャワーを浴び、着替えたわたしは逃げるように部屋を出た。
ベッドに座っていた男がなにか言う声が背中を追って来たけれど、足を止めなかった。

踏み心地の良い、ふわふわの絨毯が敷き詰められている廊下を駆け足で進み、タイミングよく止まったエレベーターに乗り込む。そこで大きく肩で息をした。


「ど、どーゆーこと……?」


感情をコントロールできずに、目尻に涙が浮かぶ。
なにもかも、信じ難い気持ちでいっぱいだった。

チン、と小気味のいい音がしてエレベーターが止まり、下の階の人が乗り込んで来たのでわたしは泣き顔を見られないように俯く。
深く首を折り曲げ、足元ばかりを見つめているとようやく一階に着いた。

ロビーではシャンデリアがこぼれ落ちそうな輝きを惜しみなく発し、全体的にベージュ系で柔らかい印象の空間によく映える赤い花が活けてある。

もしもこんな動転してやまない状況じゃなかったら、この非現実的な美しさをもっと堪能したかったけれど、わたしは小走りでロビーを縦断した。

外に出て、突き刺すような朝の光を浴び、ようやく頭が働き始める。

ここは高級ホテル、シャインガーデンホテルだ。
春にはたくさんの花が咲き誇り、夏にはみずみずしい緑の樹木やに囲まれる庭園が素晴らしい景観だと有名で、その中心に建つホテルの外観はまるでお城のようで圧巻だ。


「初めて来た……」


目をすがめ、わたしは最上階を見上げた。

雲みたいに高いところにさっきまでいたなんて、到底信じられない。わたしみたいな一般人には一生宿泊できないような、豪華なスイートルームだった。

記憶をなくすほど酔い潰れて、身なりも容姿も平々凡々な一夜限りの行きずりの相手に選ぶような部屋じゃない、よね……。

あの人、一体何者なんだろう。

時刻は朝の七時過ぎ。通勤中の人々がまばらに歩道を行き来している。


「ヤバい、早く帰らなきゃ」


ハッとしたわたしは急いで地下鉄乗り場まで行き、ホームに最初に入ってきた電車に乗り込む。手すりにもたれかかるように掴まると、溜め息を吐いた。

朝のラッシュの窮屈さに身を縮こませながらスマホを確認する。一件のメッセージはお母さんからからだった。


“居酒屋には行ったの?”


昨夜、わたしは【酒処 天の川】という酒屋に行った。たしかに行った。
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