俺様副社長に娶られました
「副社長、大丈夫ですか? 念の為、流水で冷やした方がよろしいのでは」


ポケットから取り出したハンカチで俊敏に溢れたお茶を拭くと、迷いなく創平さんの手を取った。


「いや、手は大丈夫だ。時間が無いので続けましょう」


素っ気なく言って、創平さんは事業計画書を捲る。心配するわたしになど目もくれずに。

透明人間にでもなってしまったのかと錯覚する。わたしの存在など、まるで忘れてしまったかのような態度だった。


「失礼します」


お茶ひとつまともに出せないわたしは気を落とし、踵を返す。
事務所を出ると、溜め息を吐いた。

もしかしてわたし、創平さんに避けられてる……?
そんな不安が頭をよぎったときだった。


「あの、奥様」


直売所に戻ろうとしていたわたしは足を止める。
〝奥様〟って、わたしのことだよね……?
振り向くと、秘書の越谷さんが深刻そうな顔つきで立っていた。


「あ、はい……」
「差し出がましいとは思いますが、あまりにも目に余るので申し上げます。副社長の体調管理を、もっとしっかりなさってくださいませんか」


越谷さんは穏やかな声で、まるで子どもに言い聞かせるかのように言った。


「ここ数日スケジュールが立て込んでいたのにも関わらず、無理に調整して奥様のために二連休を作っていたんです。体調が思わしくなくても酒造の再建に役立てばと尽力していましたし、さっきももう少しで副社長は火傷を負うところでした」


声色は優しくて耳馴染みがいいのに、その深層に隠された剣が潜んでいるように感じるのはなぜだろう。


「副社長がなにより大切にしているのは仕事なんです。スムーズに動けるよう私どもも精一杯調整しますので、奥様はせめて体調面でのサポートだけでもよろしくお願いいたします」


最後に越谷さんは、わたしを見て片頬で笑った。
返す言葉もないわたしを、憐れむような笑顔だった。

決してわたしを落ち込ませるために言ったわけじゃないとわかってる。
すべて事実だし、創平さんのために気後れすることもなくあんなに堂々と立ち振る舞えるなんて、なんて上司思いの良い部下なんだろうと頭が下がる思いだ。

対してわたしは……。
創平さんと越谷さんとは、副社長と秘書以上の関係なんじゃないかという疑念で頭がぐったり垂れるほどだ。まだ、たしかなことはなにもわからないというのに。
< 63 / 117 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop