俺様副社長に娶られました
「あ、青になった!」


話そうとしていた姿勢のままのわたしを置いて、泰生くんは先に横断歩道を渡り始めた。
どう切り出すか、どう話せばわかってもらえるかまだ模索していたわたしは仕方なく言葉を飲み込み、泰生くんのあとを追った。

駅で別れるとき、重たい雨雲が暗くなった空を更に濃い鈍色にして、わたしはすっかり忘れていたシャツの存在を思い出す。


「今日は突然だったから、借りたシャツ持って来てなくて。今度必ず返すから」
「ああ、うん。いつでもいいよ」


軽く返した泰生くんは、なにか考えるように不意に目線を上げる。


「ずっと持っててもいいし」
「え? いや、それは」
「そうすればあのシャツ見るたびに、俺のこと思い出してくれるだろ?」
「え……」


こ、これは……。
さすがに恋愛初心者のわたしも勘違いしそうになる。

もしも泰生くんのファンの女の子とか、片思いしている子が聞いたらきゅんきゅんして、録音して何度もリピートしたいと思うフレーズかもしれないなぁ、と思った。
物憂げな表情もどこか切なげだ。


「ううん、返すよ。洗濯して」
「また沙穂ちゃんに会える口実が出来て嬉しい」


今度は表情が一変し、声色も明るく溌剌としたものに変わった。

……なんだか、よくわからない。
つまりあのシャツは、返しても返さなくてもどっちでもいいの?


「じゃあ沙穂ちゃん、今日はありがとう。蔵のみんなにもよろしく伝えておいてね」
「あ、うん」


手を振って、泰生くんは駅の階段を駆け上がって行った。

スーパーで買い物をしてから帰宅し、夕飯を作るといつもより遅い時間になってしまった。
ひとりで食事を済ませたあと、サンルームにしている日当たりのいい部屋に干していた洗濯物を畳む。
フローリングに膝を折って畳みながら、一枚一枚わたしと創平さんの分を仕分けして、最後に泰生くんのシャツを手に取った。


『なんか焦っちゃって。ずっと憧れてた沙穂ちゃんがいなくなっちゃうって思ったら、体が勝手に動いちゃって……驚いたよね?』


わたしの思い違いではないのかもしれない。
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