【完】喫茶「ベゴニア」の奇跡
自身の胸をトントンと叩く由希くんは顔も良くて頭も良くて服のセンスも抜群で小説家だなんて、とんだ高スペック人間である。さすが桐山さんのお友達。

「じゃあそれも仕事道具?」
「その通り。次回作の途中。なかなか進まないからこうやって奈央ちゃんとお話ししているんだけどね」
「へえ・・・大変なんだね」
「モデルにしている奴がいるんだけど、こいつがなかなかねぇ・・・」

話が進まないんだよ、そう言ってため息をつく由希くんはだらっと背もたれにもたれかかり遠い目をしていた。どうやら早乙女ゆき様でも上手くいかない時があるらしい。一読者が悩み話を掘り下げることはできないから、何も詳しいことは聞くことはしなかったけれども。言葉のかけ方がわからず適当に「大変だね」とだけ告げて労っておいた。きっとただのOLの私では一緒に悩めないような内容なんだろう。

「小説書くのって難しそうだね」
「俺には才能があるから」
「・・・・・そう」

素直に「そうだね」と言うのも何だか釈だ。しかし、モデルにされている人も自分が小説に出てくるなんて滅多にないことだから嬉しいだろう。ぜひそのモデルさんには、恋を実らせて、由希くんにも小説を完結させて欲しいと思う。

「でも大の男が恋愛小説だなんて、変だなって思うでしょ?」
「?・・・どうして?」

確かに男性が恋愛小説家とはあまり一般庶民からして想像がつかない。それも純文学とかではなくてピュアピュアな恋愛ものだ。しかし彼の言葉には驚いた。だって今まで変だなとか気持ち悪ななんて思ったこともないのだ。

「カッコ良いじゃん。だってこんな素敵な小説が書けるんだもん。そんなこと思う人なんていないと思うけどなぁ」

自由に小説が投稿できる時代になった今、良い話でも押し寄せてくるたくさんの小説に埋もれてしまうこともあるはずだ。男性が女性を喜ばせる小説を書いて人気が出るなんてある意味本当に才能とでしか言えない。

「・・・そっか、ありがとう。嬉しいよ」

由希くんは嬉しそうに笑う。流石にイケメンにそんなに笑顔を向けられたらときめいてしまうからやめてほしい。

「由希、橋本さんを困らせるなよ」
「・・・わ、いい香おり!」
「何だよ。仲良くおしゃべりしているだけじゃん」

「嫉妬ですか?」と嫌味垂らしな由希くんを無視して、カウンターに現れた桐山さん。肘をついて不貞腐れる由希くんを無視して桐山さんは、カタリと私の目の前にワンプレートのお皿とコーヒーを並べる。一気にコーヒーの好きな匂いが全身を包み込んで、幸せな気分になった。ああ、これだ。と、体が求めるように引き寄せられるような。そんな気分。

「本当に奈央ちゃんはコーヒー好きなんだねぇ」
「由希とは違って大人だからね」
「え?由希くんコーヒー苦手なの?」
「苦手じゃないから。カフェオレ派なだけ」

そうは言っても得意気じゃなさそうな表情の由希くんに桐山さんが「砂糖たっぷりのね」とツッコミを入れる。思わずクスッと笑いがこぼれてしまった。可愛いところがあるじゃないかと。とはいえ、甘いカフェオレが飲みたい時もあるから彼の気持ちも分かる。まあ両者で比べたら圧倒的に好きなのはコーヒーだが。
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