贖罪のイデア
イデアは紫の色の霧が立ち込める校庭の中で一人、うつ伏せになっていた。
自分の不甲斐なさが情けなかった。
せっかくマイケルが私の足の傷を治すために危険を冒してくれたのに……逆に傷を増やしてしまってどうするの?
体はもうボロボロで這いつくばるのが精いっぱいだった。無力な自分がどうしようもなく悲しくて、サファイアブルーの瞳から涙が零れた。
私はこのまま死ぬの? マイケルもあの豚の怪物に殺されてしまうの?
だとしたらそれは全部私のせいだ。
歌声におびき寄せられて校庭に出たのは私だ。昔あの子を醜い豚の子供に変えて憎悪を植え付けたのも私だ。
激しい罪の意識でどす黒い感情が脳裏を覆い尽くす。
そう、さっきが『真実の試練』だとしたらこれはきっと『断罪の試練』なんだ。
私が生きているだけで周りの人間は不幸になる。私がいくら贖罪を望んでも、神様はそれすら許してくれない。
目を閉じると、十年前の教会での出来事が瞼の裏に蘇った。
あの頃私は明るく快活な少女だったと自分でも記憶している。
生まれつき不思議な奇跡を与えられ、一部からは魔女呼ばわりされていたけどそれでも毎日が楽しかった。
私は毎日教会の裏手にある秘密の箱庭で一人で遊んでいた。……草木が咲き乱れ小鳥がさえずるあの空間がある限り、イデアは毎日が幸福だったのだ。
けれどある日、その箱庭に歩いてくる者がいた。
小鳥と庭を駆け回っていたイデアはそれに気づくと、警戒心を滲ませた。
「マイケル……だっけ? 何をしに来たの?」
マイケルは、屈託のない笑顔を浮かべた。
「君と遊びに。君、いつもここで一人で遊んでいるから」
「邪魔をしないで。ここは私以外入ってはいけないの。お母様がそうおっしゃったから」
「お母様は今ここにいないよ」
そう言って、マイケルはイデアの手を取った。
「あ……さ、触らないで! 私が何て呼ばれているか知っているでしょ?」
「あはは、魔女だっけ? あんなの僕は信じてないよ。寧ろ僕は君のことを神様だと思ってる」
「神様?」
「イデア……(理想)。もし君が人々の理想を体現する存在だとしたら、神様って言葉がぴったりだと思って」
「貴方……どうしてそんなことを真っすぐに言えるの?」
イデアは少し顔を赤くすると……草色の髪をなびかせて笑うマイケルを見据えた。
「一つだけ、貴方に魔法をかけていい? その結果次第では、貴方を信用するわ」
「うん。いいよ」
「怖くないの?」
「イデアがかける魔法が悪い魔法なわけがないもん」
即答するマイケルに、イデアは掌をかざす。
花園が光に包まれて、そして――
その時、イデアは見たのだ。
マイケルの真実の姿を。
ハッ、とイデアは目を開いた。
相変わらず霧で淀んだ校庭の真ん中で、イデアは必死に立ち上がる。
行かなくちゃ……行かなくちゃ……私はどうしても……マイケルに……!
引きずる足は鉛の様に重く、叩きつけられた腹は一秒一秒激痛が走る。
それでも、イデアはこれまで出したことがない程の気力を振り絞る。
そっか……きっとこれが、本当の贖罪なんだね。
こんなに辛いなんて知らなかった。こんなに苦しいなんて知らなかった。
それでも今の私ならきっと償える気がする。なぜならマイケルは私の――
イデアは校舎に入ると、薄暗いの廊下の奥を目指して歩き続ける。
マイケルはどこまで逃げただろうか。
もし豚の怪物に出会ったら、あの奇跡を使おう。今の私とマイケルなら、あの怪物だってきっと倒せる。
もう一人なんかじゃない……二人の力であの呪いに取りつかれた少女を解放してみせる。
そして遂に廊下の奥に辿り着いた時――イデアはその光景を前にして目を見開いた。
肉切りの包丁を手にしたかつての少女は、血まみれで倒れるマイケルの前で血の滴る刃を舐めながらヒヒッと嬉しそうに笑った。
「あら……少し来るの遅かったじゃない。悲劇のヒロインさん」
自分の不甲斐なさが情けなかった。
せっかくマイケルが私の足の傷を治すために危険を冒してくれたのに……逆に傷を増やしてしまってどうするの?
体はもうボロボロで這いつくばるのが精いっぱいだった。無力な自分がどうしようもなく悲しくて、サファイアブルーの瞳から涙が零れた。
私はこのまま死ぬの? マイケルもあの豚の怪物に殺されてしまうの?
だとしたらそれは全部私のせいだ。
歌声におびき寄せられて校庭に出たのは私だ。昔あの子を醜い豚の子供に変えて憎悪を植え付けたのも私だ。
激しい罪の意識でどす黒い感情が脳裏を覆い尽くす。
そう、さっきが『真実の試練』だとしたらこれはきっと『断罪の試練』なんだ。
私が生きているだけで周りの人間は不幸になる。私がいくら贖罪を望んでも、神様はそれすら許してくれない。
目を閉じると、十年前の教会での出来事が瞼の裏に蘇った。
あの頃私は明るく快活な少女だったと自分でも記憶している。
生まれつき不思議な奇跡を与えられ、一部からは魔女呼ばわりされていたけどそれでも毎日が楽しかった。
私は毎日教会の裏手にある秘密の箱庭で一人で遊んでいた。……草木が咲き乱れ小鳥がさえずるあの空間がある限り、イデアは毎日が幸福だったのだ。
けれどある日、その箱庭に歩いてくる者がいた。
小鳥と庭を駆け回っていたイデアはそれに気づくと、警戒心を滲ませた。
「マイケル……だっけ? 何をしに来たの?」
マイケルは、屈託のない笑顔を浮かべた。
「君と遊びに。君、いつもここで一人で遊んでいるから」
「邪魔をしないで。ここは私以外入ってはいけないの。お母様がそうおっしゃったから」
「お母様は今ここにいないよ」
そう言って、マイケルはイデアの手を取った。
「あ……さ、触らないで! 私が何て呼ばれているか知っているでしょ?」
「あはは、魔女だっけ? あんなの僕は信じてないよ。寧ろ僕は君のことを神様だと思ってる」
「神様?」
「イデア……(理想)。もし君が人々の理想を体現する存在だとしたら、神様って言葉がぴったりだと思って」
「貴方……どうしてそんなことを真っすぐに言えるの?」
イデアは少し顔を赤くすると……草色の髪をなびかせて笑うマイケルを見据えた。
「一つだけ、貴方に魔法をかけていい? その結果次第では、貴方を信用するわ」
「うん。いいよ」
「怖くないの?」
「イデアがかける魔法が悪い魔法なわけがないもん」
即答するマイケルに、イデアは掌をかざす。
花園が光に包まれて、そして――
その時、イデアは見たのだ。
マイケルの真実の姿を。
ハッ、とイデアは目を開いた。
相変わらず霧で淀んだ校庭の真ん中で、イデアは必死に立ち上がる。
行かなくちゃ……行かなくちゃ……私はどうしても……マイケルに……!
引きずる足は鉛の様に重く、叩きつけられた腹は一秒一秒激痛が走る。
それでも、イデアはこれまで出したことがない程の気力を振り絞る。
そっか……きっとこれが、本当の贖罪なんだね。
こんなに辛いなんて知らなかった。こんなに苦しいなんて知らなかった。
それでも今の私ならきっと償える気がする。なぜならマイケルは私の――
イデアは校舎に入ると、薄暗いの廊下の奥を目指して歩き続ける。
マイケルはどこまで逃げただろうか。
もし豚の怪物に出会ったら、あの奇跡を使おう。今の私とマイケルなら、あの怪物だってきっと倒せる。
もう一人なんかじゃない……二人の力であの呪いに取りつかれた少女を解放してみせる。
そして遂に廊下の奥に辿り着いた時――イデアはその光景を前にして目を見開いた。
肉切りの包丁を手にしたかつての少女は、血まみれで倒れるマイケルの前で血の滴る刃を舐めながらヒヒッと嬉しそうに笑った。
「あら……少し来るの遅かったじゃない。悲劇のヒロインさん」