贖罪のイデア
黄昏時とあって、帰り道は薄暗い朱色に染め上げられていた。

学生寮へ帰る道すがら、マイケルは先ほどの出来事を反芻していた。

今まで一度として、自分の人生が思い通りになったことなどなかった。

だからこそ彼は一旦落ち込んでもうじうじと悩むことはなかったし、今回も冷静に今の状況を分析することができた。

イデアはきっと、何か隠し事をしている。

それが十年前、自分がまだあの学校にいた頃の出来事のせいなのかは分からない。

だが少なくとも、十年前のイデアはあんな風じゃなかった。

なら、自分がすべきことはただ一つ……狐男の噂の正体を突き止めることだ。

彼女が頑なに僕を『忘れて』しまっているというのならば、それ以外に彼女自身取り戻させる方法はない。

「――おい」



だがマイケルがその決意を固めるのを待っていたかのように、『それ』は向こうから現れた。

「おめえだよ、そこの眼帯の坊主」



明らかに人間の声帯から発したものとは思えない、獰猛な低い声。

マイケルが恐る恐る頭上を見上げると、大きな枯れ木の幹でその生き物は獲物を狙う肉食獣の様にしゃがみ込んでいた。

見た目は身長百八十センチ代の長身の男性だ。

全身を黒いローブで包み込み、それでいて胸元からは随分と古びた十字架を下げている様は、まるで堕落した聖職者を思わせる出で立ちにも見える。

だがその顔を見た瞬間、そんな些細なことはどうでも良くなってしまった。

「狐……男……⁉」



瞠目しながら後ずさるマイケルに、狐そのものの顔をしたその何かは黄色い歯を剥き出しにして笑う。

「おいおい、俺様のことを見た奴はみんな同じこと言いやがる。いいか、俺にはちゃんとギルバート・マクラウド様っていうれっきとした人間の名前があんだよ。またの名を『世界一の天才詐欺師様』だ」



そう言って、狐男は黄色い眼を細めてまたケタケタと笑った。

「正体は人間……? ってことは、やっぱり使い魔なんかじゃないのか?」

「ああん? おいおい冗談は大概にしてくれよ。この俺様が使い魔だと? 例え黒パン一個のお遣いだろうと、誰かに使われるくらいなら死んだ方がマシだぜ」



それを聞いて、異常な状況であるにも関わらずマイケルは僅かに安堵した。

信じてはいたが、やはり噂の狐男はイデアの使い魔などではなかったのだ。

「あの……」

「何だよ」

「貴方が何者かは知りませんが、もうこの辺りをうろつくのはやめてもらえませんか? もし何か望みがあるなら、僕が出来ることなら何でもしますから」



恐怖を抑えつつ、なるべく毅然と告げる。

狐男の正体は気になるが、それ以上にこの辺りをうろつかれてイデアの評判が悪くなる方が嫌だった。

だが、そんなマイケルの心中を透徹したかの様に狐男は薄ら笑いを浮かべて彼を睥睨する。

「……そんなにあの女のことが心配か?」



ドクン、とマイケルの心臓が跳ね上がった。

「何のことですか」

「フン。俺はお前を知ってるぞ。お前にとってあの女がどれだけ特別な存在であるかも」

「僕は貴方を知らないし、僕に特別な存在なんていません!」

「だったら思い出させてやるよ」



狐男は枯れ木から身軽に飛び降りると、獣の如き俊敏さで肉薄してマイケルの耳元に囁いた。



「イ・デ・ア・サ・リ・ン・ジ・ャ・―だっけか? お前の愛しの天使は?」
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