贖罪のイデア
「――やめろっ!」
マイケルは咄嗟に狐男から飛びのくと、自分の耳を必死でゴシゴシと擦った。
あの黄色い乱杭歯が並んだ醜悪な口から、生臭い吐息と共に彼女の名前が発せられたという事実だけで、頭がどうにかなりそうだった。
そんなマイケルの懊悩を更に煽るかの様に、狐男は耳障りな笑い声を上げる。
「お前、嘘が下手くそだな! 嘘を吐くのが下手くそな奴は、自分はコロッと騙されるんだぜ。それはお前が今まで、嘘を吐かなきゃいけない状況にまで追い詰められたことがないからだ。本当の地獄を知らない……そう、あの箱庭で幼少期を過ごした愚かなお姫様の様になぁ!」
「それは……イデアのことを言ってるのか?」
「ああん、他に誰がいるんだよ! いいか、俺様は『輝かしい契約』の名を冠するギルバート様だ! だから、あの女ともそれは素晴らしい契約を結んでやったのよ。俺様が詐欺師だと知って尚、偽善者面しやがるあのバカ女を思い知らせる為に――」
と、その時……急に狐男は弁舌を止め、尖った両手の爪を擦り合わせながら急にか細い口調になった。
「ああ……? 思い知らせる……? 何の為に……? 彼女は俺に何をした……? 俺は彼女に何をした……?」
「急にどうしたんだよ……?」
戸惑うマイケルの前で、狐男は虚ろな目を浮かべてうわ言を呟く。
「ああそうだ……大丈夫だ、何も恐れることはない……花園、ハサミ、眼帯、花瓶……俺が変えてやるのさ……何もかも全て……そう決めたじゃねえか……」
言葉とは裏腹に狐男の声は次第に震え始め、傍からすると見えない何かに酷く怯えてるかの様だった。
しかしそれらの意味不明な言葉の羅列は、対峙しているマイケルの心をも激しくかき乱した。
「貴方は一体誰だ……? 僕は貴方のことなんか知らない。なのにどうして――」
途端、狐男は激しい怒りに駆られてマイケルの襟首を掴み、いまにも頭を丸かじりしてしまいそうな至近距離で吠えた。
「――黙れッ! 俺様から何もかも奪った単なる器の分際で、一丁前に疑問を抱いてんじゃねえ! おめえはただ大人しく俺様の思い通りに動けばいいんだ!」
そこでようやく我に返ったのか狐男は目を見開き、マイケルを突き飛ばしてからローブを目深に被った。
「チッ、俺様としたことが取り乱しちまった……これじゃあ、世界一の天才詐欺師様の肩書が泣くってもんだ」
それからマイケルを値踏みする様に見つめる。
「見た所お前は『器』としては十分だ。あの女にもご執心みたいだしな。なら、わざわざ俺が指示する必要はないが一応言っておく……あの女の側を離れるな」
「え? どうして貴方がそんなことを?」
「うるせえ、質問すんなって言ってんだろ。もう用は済んだ、あばよ眼帯の小僧」
踵を返し、さっさと立ち去ろうとする狐男。
次の瞬間、激しい焦りに駆られてマイケルは大きな黒いローブの背中目掛けて叫ぶ。
「待って! 頼むからイデアには――」
「手を出すな、って? それは……」
狐男は振り向き様に、まさに聖書に出てきそうな悪魔の如き形相を浮かべた。
「約束できねえなあ――だって、世界一の天才詐欺師様が約束なんてするはずねえだろ?」
マイケルは咄嗟に狐男から飛びのくと、自分の耳を必死でゴシゴシと擦った。
あの黄色い乱杭歯が並んだ醜悪な口から、生臭い吐息と共に彼女の名前が発せられたという事実だけで、頭がどうにかなりそうだった。
そんなマイケルの懊悩を更に煽るかの様に、狐男は耳障りな笑い声を上げる。
「お前、嘘が下手くそだな! 嘘を吐くのが下手くそな奴は、自分はコロッと騙されるんだぜ。それはお前が今まで、嘘を吐かなきゃいけない状況にまで追い詰められたことがないからだ。本当の地獄を知らない……そう、あの箱庭で幼少期を過ごした愚かなお姫様の様になぁ!」
「それは……イデアのことを言ってるのか?」
「ああん、他に誰がいるんだよ! いいか、俺様は『輝かしい契約』の名を冠するギルバート様だ! だから、あの女ともそれは素晴らしい契約を結んでやったのよ。俺様が詐欺師だと知って尚、偽善者面しやがるあのバカ女を思い知らせる為に――」
と、その時……急に狐男は弁舌を止め、尖った両手の爪を擦り合わせながら急にか細い口調になった。
「ああ……? 思い知らせる……? 何の為に……? 彼女は俺に何をした……? 俺は彼女に何をした……?」
「急にどうしたんだよ……?」
戸惑うマイケルの前で、狐男は虚ろな目を浮かべてうわ言を呟く。
「ああそうだ……大丈夫だ、何も恐れることはない……花園、ハサミ、眼帯、花瓶……俺が変えてやるのさ……何もかも全て……そう決めたじゃねえか……」
言葉とは裏腹に狐男の声は次第に震え始め、傍からすると見えない何かに酷く怯えてるかの様だった。
しかしそれらの意味不明な言葉の羅列は、対峙しているマイケルの心をも激しくかき乱した。
「貴方は一体誰だ……? 僕は貴方のことなんか知らない。なのにどうして――」
途端、狐男は激しい怒りに駆られてマイケルの襟首を掴み、いまにも頭を丸かじりしてしまいそうな至近距離で吠えた。
「――黙れッ! 俺様から何もかも奪った単なる器の分際で、一丁前に疑問を抱いてんじゃねえ! おめえはただ大人しく俺様の思い通りに動けばいいんだ!」
そこでようやく我に返ったのか狐男は目を見開き、マイケルを突き飛ばしてからローブを目深に被った。
「チッ、俺様としたことが取り乱しちまった……これじゃあ、世界一の天才詐欺師様の肩書が泣くってもんだ」
それからマイケルを値踏みする様に見つめる。
「見た所お前は『器』としては十分だ。あの女にもご執心みたいだしな。なら、わざわざ俺が指示する必要はないが一応言っておく……あの女の側を離れるな」
「え? どうして貴方がそんなことを?」
「うるせえ、質問すんなって言ってんだろ。もう用は済んだ、あばよ眼帯の小僧」
踵を返し、さっさと立ち去ろうとする狐男。
次の瞬間、激しい焦りに駆られてマイケルは大きな黒いローブの背中目掛けて叫ぶ。
「待って! 頼むからイデアには――」
「手を出すな、って? それは……」
狐男は振り向き様に、まさに聖書に出てきそうな悪魔の如き形相を浮かべた。
「約束できねえなあ――だって、世界一の天才詐欺師様が約束なんてするはずねえだろ?」