その人は俺の・・・
なんだか怖かった。
振り向く勇気がなかった。

「愛生さん、愛生さんでしょ?」

この声。間違いなく樹君だ。

「はい」

振り返った。

「愛生さんだ」

「はい」

樹君だ。

「…お元気でしたか?」

「はい。樹君も?」

平静を装った。でも彼にはバレているかも知れない。きっとバレている。

「はい」

いきなり腕を掴まれた。…え?

「端、寄りましょう」

あ、あぁ、そういうこと。

「人が多くて、ここで立ち止まると邪魔になるから」

…そういうこと。

「愛生さん?」

「あ、はい、ごめんなさい」

「いや、別に怒ってる訳じゃ…」

路地の中に引き込まれた。端も端。何もこんなところまで。あぁ、店先に居ても営業妨害ってことね。

「偶然ですね。大丈夫でしたか?あれからも。今も。あっさりし過ぎていたからかえって心配になって。でも、連絡するってこともそれが何かになってはいけないかもとか、とにかく、何もしないことがいいのかと思って俺は」

「大丈夫。何も、変わったことはないから。ずっと変わらない、変わってない」

「本当に?」

「本当」

「嘘ついてない?本当?」

「本当。大丈夫。……顔だって、ね、綺麗でしょ?フフ、ほら、ね?」

両頬を大袈裟に見せた。暴力に発展したら、頬だけとは限らないだろうけど。

「はぁ。本当なんだね」

「大丈夫、本当に大丈夫だから」

「今日…一人でここ、大丈夫なの?どうしたの?」

「それは…まだ、『教室』に通ってることにしてあるから。その時間、自由なの。一人教室?…フフ…狡いでしょ?そうしておけば、こうして出掛けられると思って」

「あぁ、それで、一人なんですね」

「…うん。そうなの。出掛けた場所、あ、出掛けられる場所って私そんなに知らないから、だからここも…」

「時間、ありますか?」

「え?」

「アパートに来れますか?」

「え?樹君の?今、から?今日?」

「はい。今日が無理なら来週でも」

あ…来週。

「『教室』なら、来週、そう決めてたら大丈夫ですよね」

「教室だから?」

「そう、『教室』だから。俺…」

「解りました。来週…行きます」

「待ってますから。…じゃあ」

「あ、はい。…さようなら」

もう?
あっさり帰られたこと、なんだか呆気なかった。私はこんなに…。



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