禁猟区のアリス
10

意地汚い。みっともない。盗み食いするつもりか。

記憶の中でヒステリックなママが怒鳴る。


わたしは目を伏せて、サンドイッチを意識の隅に追いやった。

「ウサギの言う事なんて、気にすることないのよ。食べたければ食べればいいじゃない。これはあなたの物。誰も怒ったりはしないわ」

黒猫が温かそうな湯気のたったマグカップを置いた。


紅茶と違って、入っているのはココアだ。甘い甘い、幸せの香り。黒い液体の上には、半分溶けかかったマシュマロが乗っていた。


「そういうの、シンリテキコントロールって言うのよ」

黒猫が横目でウサギを睨んだ。


「僕は僕の意見を言ったまでさ。アリスはアリスの思うようにすればいい。アリスの行動を決めるのは、僕じゃない」

「表面上はね。でも、あんな言い方をしたら、食べづらいじゃない」


「僕の言うことを気にするなと言ったのは、黒猫だろ?」

不貞腐れたようにウサギが言った。黒猫はしなやかな指先で、マグカップをわたしの正面に向けた。


一度だけ、飲んだことがある。マシュマロの浮いたココア。

やせっぽちのわたしに、同じアパートのおばあちゃんが飲ませてくれたんだ。


ママはその頃はまだ、わたしのことを好きでいてくれていた気がする。

夜のお仕事にいく前は必ず、わたしにハグをしてくれていたから。


ママはいつも優しいよ。本当の心からの言葉。それが、身を守る呪文になってしまったのは、いつのことだったんだろう。

甘いココアの香りが、特別に優しい記憶を引き出した。


「いつまで冷めたミルクを僕の前に置いておくつもり?」

ちくちくとげとげ、ウサギが言った。ミルクには一口も飲んだあとは無かったが、黒猫はイチベツしただけで何も言わず、冷めたミルクをお盆に乗せた。


「アリス。君の死後、たくさんのヒトたちが泣いた。君の死を悲しんだ。君がされたこと全部を、パパとママにも仕返してやれと言うヒトまでいたくらいさ」

生前の君は誰からも愛されなかったのにね、と、ウサギが付け加えた。
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