もうそばにいるのはやめました。
俺もほっとした。
体の弱い母さんの笑顔が少しでも見たくて、父さんに初めてわがままを言って買ってもらったのがあのバイオリン。
母さんの好きなクラシックを俺が演奏してよろこんでもらうんだ。
元気になってほしいんだ。
『すてきなバイオリンだなぁ……』
だろ?
俺が選んだバイオリンなんだからな!
『ちょっと弾いてみちゃお』
なっ……!?
俺のだっつってんだろ!
助けてくれたのは感謝してるけど、それとこれとは別。
俺のバイオリンで弾いてもいいのは俺だけだ!
ちょっと待ったー!
と扉に手をかけた
直後
悪口を浴びてくさっていた耳に
優しい音色が流れこんだ。
『……なんだ……この、音……』
今まで聴いたことがない。
こんなにも胸が震える音。
どこまでも音が伸びて、楽しそうにはずむ。
おだやかでいとおしげで。
それでいて力強く、心臓をわしづかみにする。
こんな演奏は初めてだ。
じわり、涙が浮かぶ。
こぼれる涙を拭うのも忘れて、ためらいがちに扉を開けた。
ほんの少しの隙間から覗き見る。
小さな背中。
窓から差し込む光に透けた、ひだまりみたいな色の髪。
その真っ直ぐな髪は、軽やかに指が動くたびにふわり、と揺らめく。