君がいれば、楽園
おまけ:オッサン紳士の正体
とある昼下がり。
わたしは、某ホテルのレストランで、婚約者である秋晴の両親との会食に臨むことになっていた。
地元が一緒、実家も近いのに、これまで顔を合わせたことがない。
彼のご両親が介護や仕事の関係で忙しかったせいでもあるが、わたしにプレッシャーをかけたくないという秋晴の配慮でもあった。
実際、今年のお正月も会うことが叶わなかったため、新年早々、結婚の報告をすることになったのだ。
すでに、秋晴から結婚式の予定などは話してあるというが、やはり緊張する。
滅多に着ないスーツとハイヒールで武装し、深呼吸して秋晴のいるテーブルへ向かう。
「お待たせして、申し訳ありません」
「こちらこそ、お仕事でお疲れでしょうに、わたしたちの予定に合わせてもらって、ごめんなさいね」
「とんでもありません。昨年のうちにご挨拶すべきところ、わたしの怪我のせいで……」
「ええ、秋晴から聞きました。大変な目に遭ったとか。まずは、座ってくださいな」
「失礼します……」
未来の義母の優しい声にほっとしながら、秋晴の隣に座ろうとしたわたしは、人生で二番目の衝撃に見舞われた。
どういうわけか、あの日、あの夜、スウェット上下で弟の店で寛いでいたオッサン紳士が、どう見てもオーダーメイドと思われるスーツ姿で、目の前にいる。
目の錯覚……だと思いたい。
「春陽、改めて紹介するけれど……これが、俺のオヤジとオフクロ。今日は気合の入った恰好してるけど、普段は二人ともスウェットにスパッツだ。緊張しなくていいから」
緊張どころか……冷や汗が噴き出す。
固まっているわたしをよそに、義母と婚約者は「うちの実態をいきなりぶちまけなくてもいいでしょうっ!」「すぐにバレるのに、とりつくろうだけ無駄だ」などと遣り合っている。
オッサン紳士は、そんな二人に苦笑しながら、わたしに微笑みかけた。
「秋晴から、春陽さんとお付き合いしていることは聞いていたので、あの時挨拶しようかとも思ったんですが……あんな恰好でしたので、遠慮してしまいました。改めまして、秋晴の父です。見てのとおり、英国紳士ではなくオッサンですが」
「あ、あの時はっ、も、もう、申し訳……ありませんでした……」
「いえいえ、うちの息子が不甲斐ないばかりに辛い思いをさせてしまって、こちらのほうこそ申し訳ありませんでした。いや、無事まとまって、ほっとしましたよ。あの時、連れショ……いえ、トイレに一緒に行きたいというお誘いを断ってしまったせいで、息子との仲がこじれてしまったらと思うと、気が気ではなかったんですが。秋晴が来たのでこっそり帰ったんです」
「いえ、あの、断ってくださって…………ありがとうございます」
優しく笑う未来の義理の父を前に、わたしは誰かに地中深く埋めてほしいと思った。
「わたし、単身赴任してましてね。春陽さんとはご近所さんなんですよ。春陽さんの弟さんのお店は居心地がよくって、週に三回は通ってるんです」
「あ、ありがとうございます……」
「でも、マスターのお姉さんだったとは知りませんでした。世間は狭いですね」
「そうですね……」
「ところで、あの時の怪我は、大丈夫ですか?」
「おかげさまで、結婚式までには完治するかと」
お互いの仕事のことを考えて、わたしたちは三月初めに結婚式を挙げることになった。
なかなかタイトなスケジュールだが、雪が解けると彼の仕事は俄然忙しくなるし、わたしのほうも新年度の頭は新規契約や切り替えだ何だとゴタゴタする。
それに、少々急ぐ理由もあって、親族だけを招いたささやかな式を挙げることにしたのだ。
「それはよかった。満身創痍でしたからね。あの日は」
「はは……おっしゃるとおりで」
「今年のクリスマスは……楽しく、賑やかなものになりそうですね」
「……はい」
あの日――さまざまな事件に見舞われたわたしはピルを飲み忘れ、理性をすっ飛ばしていた彼も、避妊するのを忘れた。
わたしと彼の楽園に、今年のクリスマスまでには新たな住人が加わる予定だ。
にこにこ笑うオッサン紳士は、笑顔のまま驚きのひと言を付け加えた。
「実は、秋晴と春陽さんの結婚式の後、新婚旅行に出かけようと思っているんです」
「新婚、旅行……?」
どう考えても新婚ではないように思われる、と首を傾げるわたしにオッサン紳士は苦笑する。
「秋晴、春陽さんがくれた写真集をいつも持ち歩いているんですよ。それで、我が家に来た時に見せてもらったんですけれど……家内とどうしても行きたくなってしまってねぇ。実は、わたしと家内は俗に言うできちゃった結婚でして。お互いの親にも反対されていたので、ちゃんとした結婚式も、新婚旅行もしていないんですよ。だから、これを機にプレゼントしようかと」
「きっと……喜ばれますよ」
「そうだといいんですけれど」
照れたように笑うオッサン紳士は、かわいらしかった。
二人、ほのぼのとしていると、バトルを終えた母と息子が乱入してくる。
「なに、二人でこそこそ話してるの?」
「あなた、春陽さんが美人だからって、鼻の下のばしちゃって!」
似たもの母子。
そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
オッサン紳士と二人、顔を見合わせた。
『お互い、大変ですね』
『でも、愛されているからですよ』
そんな言葉を交わし、それぞれの人生のパートナーに微笑みかけた。
わたしは、某ホテルのレストランで、婚約者である秋晴の両親との会食に臨むことになっていた。
地元が一緒、実家も近いのに、これまで顔を合わせたことがない。
彼のご両親が介護や仕事の関係で忙しかったせいでもあるが、わたしにプレッシャーをかけたくないという秋晴の配慮でもあった。
実際、今年のお正月も会うことが叶わなかったため、新年早々、結婚の報告をすることになったのだ。
すでに、秋晴から結婚式の予定などは話してあるというが、やはり緊張する。
滅多に着ないスーツとハイヒールで武装し、深呼吸して秋晴のいるテーブルへ向かう。
「お待たせして、申し訳ありません」
「こちらこそ、お仕事でお疲れでしょうに、わたしたちの予定に合わせてもらって、ごめんなさいね」
「とんでもありません。昨年のうちにご挨拶すべきところ、わたしの怪我のせいで……」
「ええ、秋晴から聞きました。大変な目に遭ったとか。まずは、座ってくださいな」
「失礼します……」
未来の義母の優しい声にほっとしながら、秋晴の隣に座ろうとしたわたしは、人生で二番目の衝撃に見舞われた。
どういうわけか、あの日、あの夜、スウェット上下で弟の店で寛いでいたオッサン紳士が、どう見てもオーダーメイドと思われるスーツ姿で、目の前にいる。
目の錯覚……だと思いたい。
「春陽、改めて紹介するけれど……これが、俺のオヤジとオフクロ。今日は気合の入った恰好してるけど、普段は二人ともスウェットにスパッツだ。緊張しなくていいから」
緊張どころか……冷や汗が噴き出す。
固まっているわたしをよそに、義母と婚約者は「うちの実態をいきなりぶちまけなくてもいいでしょうっ!」「すぐにバレるのに、とりつくろうだけ無駄だ」などと遣り合っている。
オッサン紳士は、そんな二人に苦笑しながら、わたしに微笑みかけた。
「秋晴から、春陽さんとお付き合いしていることは聞いていたので、あの時挨拶しようかとも思ったんですが……あんな恰好でしたので、遠慮してしまいました。改めまして、秋晴の父です。見てのとおり、英国紳士ではなくオッサンですが」
「あ、あの時はっ、も、もう、申し訳……ありませんでした……」
「いえいえ、うちの息子が不甲斐ないばかりに辛い思いをさせてしまって、こちらのほうこそ申し訳ありませんでした。いや、無事まとまって、ほっとしましたよ。あの時、連れショ……いえ、トイレに一緒に行きたいというお誘いを断ってしまったせいで、息子との仲がこじれてしまったらと思うと、気が気ではなかったんですが。秋晴が来たのでこっそり帰ったんです」
「いえ、あの、断ってくださって…………ありがとうございます」
優しく笑う未来の義理の父を前に、わたしは誰かに地中深く埋めてほしいと思った。
「わたし、単身赴任してましてね。春陽さんとはご近所さんなんですよ。春陽さんの弟さんのお店は居心地がよくって、週に三回は通ってるんです」
「あ、ありがとうございます……」
「でも、マスターのお姉さんだったとは知りませんでした。世間は狭いですね」
「そうですね……」
「ところで、あの時の怪我は、大丈夫ですか?」
「おかげさまで、結婚式までには完治するかと」
お互いの仕事のことを考えて、わたしたちは三月初めに結婚式を挙げることになった。
なかなかタイトなスケジュールだが、雪が解けると彼の仕事は俄然忙しくなるし、わたしのほうも新年度の頭は新規契約や切り替えだ何だとゴタゴタする。
それに、少々急ぐ理由もあって、親族だけを招いたささやかな式を挙げることにしたのだ。
「それはよかった。満身創痍でしたからね。あの日は」
「はは……おっしゃるとおりで」
「今年のクリスマスは……楽しく、賑やかなものになりそうですね」
「……はい」
あの日――さまざまな事件に見舞われたわたしはピルを飲み忘れ、理性をすっ飛ばしていた彼も、避妊するのを忘れた。
わたしと彼の楽園に、今年のクリスマスまでには新たな住人が加わる予定だ。
にこにこ笑うオッサン紳士は、笑顔のまま驚きのひと言を付け加えた。
「実は、秋晴と春陽さんの結婚式の後、新婚旅行に出かけようと思っているんです」
「新婚、旅行……?」
どう考えても新婚ではないように思われる、と首を傾げるわたしにオッサン紳士は苦笑する。
「秋晴、春陽さんがくれた写真集をいつも持ち歩いているんですよ。それで、我が家に来た時に見せてもらったんですけれど……家内とどうしても行きたくなってしまってねぇ。実は、わたしと家内は俗に言うできちゃった結婚でして。お互いの親にも反対されていたので、ちゃんとした結婚式も、新婚旅行もしていないんですよ。だから、これを機にプレゼントしようかと」
「きっと……喜ばれますよ」
「そうだといいんですけれど」
照れたように笑うオッサン紳士は、かわいらしかった。
二人、ほのぼのとしていると、バトルを終えた母と息子が乱入してくる。
「なに、二人でこそこそ話してるの?」
「あなた、春陽さんが美人だからって、鼻の下のばしちゃって!」
似たもの母子。
そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
オッサン紳士と二人、顔を見合わせた。
『お互い、大変ですね』
『でも、愛されているからですよ』
そんな言葉を交わし、それぞれの人生のパートナーに微笑みかけた。