【女の事件】黒煙のレクイエム
第59話
アタシはひろゆきと離婚した後、再び各地を転々とする暮らしを送っていた。
アタシは、この3年の間に豊橋→浜松→静岡→横浜→東京→さいたまと住むところを変えながらナイトクラブやスナックや風俗店などで働いていた。
アタシは恋をする喜びをなくしていたので、ショウウインドゥにかざられているウェディングドレスを見ても、再婚をしたいと言う気持ちなんかなかった。
アタシは恋愛結婚はもちろんのこと、育児や出産についてもムカンシンになっていた。
結婚・出産は、だれのための結婚・出産なんだろうか…
そう思えば思うほど、アタシは悲しくなっていた。
アタシが31歳の時であった。
浦和のキャバで働いていた時に、アタシを指名していたお客様が威圧的な言葉でアタシに攻撃をしてきたので、気持ちがヒヘイしていた。
問題のお客様は後に出禁となったが、アタシは過労が原因で倒れた後、救急車で浦和区内の病院に運ばれた。
アタシは、今まで無理ガマンを押さえつけてひたすら働き通していたので、体が悲鳴をあげていた。
医師の診断の結果、アタシはシキュウキンシュと診断された。
アタシは、子宮を摘出したので赤ちゃんが産めなくなった。
子宮を摘出する手術を受けてから16日後に、アタシは退院して再び放浪の旅に出た。
旅に出たアタシは、再び水商売の世界で働いていた。
さて、アタシと離婚をしたひろゆきはどうしていたのかと言うと、オーストラリア人のホステスに手を出した事件でやくざの男たちから集団で袋叩きに遭った事件でボロボロに傷ついた上に春日井市で暮らして行くこともできなくなったので、伊豆の松崎にあるサナトリウムにて療養生活を送っていた。
その時にひろゆきは、サナと再会をした。
この時ひろゆきは、もう一度サナとやり直したいと母親と母親の親族に頭を下げてお願いをしたけど、反対が多いので、許してもらえなかった。
なので、ひろゆきがかつて勤めていた職場の工場長さんに助けを求めた。
工場長さんは、知り合いの市議会議員さんに助け船をお願いをして、ひろゆきの母親の親族の元に行って、ひろゆきとサナの結婚の許しをお願いした。
その結果、ひろゆきとサナはどうにか結婚の許しを得ることができた。
ひろゆきとサナは、長野県下伊那郡豊丘村で暮らしている母親と弟・ひろつぐ(30歳・喬木村にあります教習所の事務)がいる2階建ての大きめの借家に移り住んだ。
ひろゆきは、豊丘村内にある段ボール工場に再就職をしてもう一度0からやり直すことになった。
同じ頃、アタシはひろゆきがかつて勤めていた職場の工場長さんの知り合いの市議会議員さんから『ひろゆきさんの母親がひろつぐにお嫁さんがいないのはかわいそう…』と言うていたので、ひろつぐさんと再婚をして幸せに暮らしなさい!!』と命令口調で言われたけん、仕方なくひろつぐと再婚した。
アタシは、市議会議員さんから言われた通りにひろつぐと再婚をしたけど、婚姻届はださんかった。
ひろつぐは、喬木村(たかぎむら)にある自動車教習所の事務のお仕事をしていたが、お給料はあんまり期待でけんけん、アタシは外へ働きに出た。
アタシは、JR飯田線の元善光寺駅前の通りにあるローソンのバイトで稼いだお給料で足りない分を補っていた。
けれど、それだけではまだ足りひんけん飯田市内の複数の飲食店やデリヘル店などをかけもちして働いていた。
しかし、ひろつぐはアタシと結婚をしてから1ヶ月後に『ひろゆきとサナはラブラブなのに、オレだけは働くお嫁さんしかいないのかよ!!』とか『オレの給料が少ないことに不満を募らせているのか!?』などと言うて、アタシに文句ばかりを言うようになっていた。
それどころか、ひろつぐは母親に対して『ひろゆきとサナがオレの前でイチャイチャしているからイラつくのだよ!!』と凄んで、別々にしてくれとお願いをしているが、母親はがまんしてくれと言うだけで受け入れてもらえんかった。
だから、アタシにばかり怒りをぶつけるようになった。
アタシは一生懸命になって足りない分を補っているのに、ひろつぐが文句ばかり言うけん『そんなに働くお嫁さんがアカンのかしら!!』と思うようになったけん、大ゲンカを繰り返すようになっていた。
その上、ひろゆきはサナが作ってくれた料理をひろつぐが食べようとした時に『サナが作った料理を勝手に食べるなよ!!』と言うたけん、ひろつぐがキレてきょうだいゲンカを起こしていた。
アタシが帰宅して、食卓に座った時に『何でごはんを作らないのだよ!!目玉焼きもやけんのか!?』と言うて、アタシをナマケモノ呼ばわりしていた。
アタシは『コンビニの残り物お弁当や牛丼屋のお持ち帰りのお弁当がそんなにイヤなのかしら!?』とひろつぐに言い返した。
そしたら、ひろつぐは『ふざけるなオドレが!!』とおらんで、アタシの顔をグーで思い切り殴った。
気に入らないことがあると、ひろつぐはアタシにばかり八つ当たりをしてきつい暴力をふるうばかりか、母親にも暴力をふるっていた。
もうこれ以上結婚生活を続けていたら、アタシは殺されてしまうと思っていたので、再び離婚を考えるようになった。
もうだめ…
家にいれば、ひろつぐからしょっちゅう暴力をふるわれるけん…
結婚生活なんか…
やめてやる…
2029年7月15日に、新たな悲劇が始まった。
アタシは、この3年の間に豊橋→浜松→静岡→横浜→東京→さいたまと住むところを変えながらナイトクラブやスナックや風俗店などで働いていた。
アタシは恋をする喜びをなくしていたので、ショウウインドゥにかざられているウェディングドレスを見ても、再婚をしたいと言う気持ちなんかなかった。
アタシは恋愛結婚はもちろんのこと、育児や出産についてもムカンシンになっていた。
結婚・出産は、だれのための結婚・出産なんだろうか…
そう思えば思うほど、アタシは悲しくなっていた。
アタシが31歳の時であった。
浦和のキャバで働いていた時に、アタシを指名していたお客様が威圧的な言葉でアタシに攻撃をしてきたので、気持ちがヒヘイしていた。
問題のお客様は後に出禁となったが、アタシは過労が原因で倒れた後、救急車で浦和区内の病院に運ばれた。
アタシは、今まで無理ガマンを押さえつけてひたすら働き通していたので、体が悲鳴をあげていた。
医師の診断の結果、アタシはシキュウキンシュと診断された。
アタシは、子宮を摘出したので赤ちゃんが産めなくなった。
子宮を摘出する手術を受けてから16日後に、アタシは退院して再び放浪の旅に出た。
旅に出たアタシは、再び水商売の世界で働いていた。
さて、アタシと離婚をしたひろゆきはどうしていたのかと言うと、オーストラリア人のホステスに手を出した事件でやくざの男たちから集団で袋叩きに遭った事件でボロボロに傷ついた上に春日井市で暮らして行くこともできなくなったので、伊豆の松崎にあるサナトリウムにて療養生活を送っていた。
その時にひろゆきは、サナと再会をした。
この時ひろゆきは、もう一度サナとやり直したいと母親と母親の親族に頭を下げてお願いをしたけど、反対が多いので、許してもらえなかった。
なので、ひろゆきがかつて勤めていた職場の工場長さんに助けを求めた。
工場長さんは、知り合いの市議会議員さんに助け船をお願いをして、ひろゆきの母親の親族の元に行って、ひろゆきとサナの結婚の許しをお願いした。
その結果、ひろゆきとサナはどうにか結婚の許しを得ることができた。
ひろゆきとサナは、長野県下伊那郡豊丘村で暮らしている母親と弟・ひろつぐ(30歳・喬木村にあります教習所の事務)がいる2階建ての大きめの借家に移り住んだ。
ひろゆきは、豊丘村内にある段ボール工場に再就職をしてもう一度0からやり直すことになった。
同じ頃、アタシはひろゆきがかつて勤めていた職場の工場長さんの知り合いの市議会議員さんから『ひろゆきさんの母親がひろつぐにお嫁さんがいないのはかわいそう…』と言うていたので、ひろつぐさんと再婚をして幸せに暮らしなさい!!』と命令口調で言われたけん、仕方なくひろつぐと再婚した。
アタシは、市議会議員さんから言われた通りにひろつぐと再婚をしたけど、婚姻届はださんかった。
ひろつぐは、喬木村(たかぎむら)にある自動車教習所の事務のお仕事をしていたが、お給料はあんまり期待でけんけん、アタシは外へ働きに出た。
アタシは、JR飯田線の元善光寺駅前の通りにあるローソンのバイトで稼いだお給料で足りない分を補っていた。
けれど、それだけではまだ足りひんけん飯田市内の複数の飲食店やデリヘル店などをかけもちして働いていた。
しかし、ひろつぐはアタシと結婚をしてから1ヶ月後に『ひろゆきとサナはラブラブなのに、オレだけは働くお嫁さんしかいないのかよ!!』とか『オレの給料が少ないことに不満を募らせているのか!?』などと言うて、アタシに文句ばかりを言うようになっていた。
それどころか、ひろつぐは母親に対して『ひろゆきとサナがオレの前でイチャイチャしているからイラつくのだよ!!』と凄んで、別々にしてくれとお願いをしているが、母親はがまんしてくれと言うだけで受け入れてもらえんかった。
だから、アタシにばかり怒りをぶつけるようになった。
アタシは一生懸命になって足りない分を補っているのに、ひろつぐが文句ばかり言うけん『そんなに働くお嫁さんがアカンのかしら!!』と思うようになったけん、大ゲンカを繰り返すようになっていた。
その上、ひろゆきはサナが作ってくれた料理をひろつぐが食べようとした時に『サナが作った料理を勝手に食べるなよ!!』と言うたけん、ひろつぐがキレてきょうだいゲンカを起こしていた。
アタシが帰宅して、食卓に座った時に『何でごはんを作らないのだよ!!目玉焼きもやけんのか!?』と言うて、アタシをナマケモノ呼ばわりしていた。
アタシは『コンビニの残り物お弁当や牛丼屋のお持ち帰りのお弁当がそんなにイヤなのかしら!?』とひろつぐに言い返した。
そしたら、ひろつぐは『ふざけるなオドレが!!』とおらんで、アタシの顔をグーで思い切り殴った。
気に入らないことがあると、ひろつぐはアタシにばかり八つ当たりをしてきつい暴力をふるうばかりか、母親にも暴力をふるっていた。
もうこれ以上結婚生活を続けていたら、アタシは殺されてしまうと思っていたので、再び離婚を考えるようになった。
もうだめ…
家にいれば、ひろつぐからしょっちゅう暴力をふるわれるけん…
結婚生活なんか…
やめてやる…
2029年7月15日に、新たな悲劇が始まった。