悪役令嬢だって恋をする
14、アベルとクレールとマルシェとルビー
本日のアベルの朝は、一言でいうと最悪だった。
天候が悪い訳じゃない。天気は快晴、アベルのシンプルな寝室には太陽の強い光が差し込み、1日の始まりを見せつけている。
朝の準備をしながらも、理不尽で極めて面倒な試練にアベルは不満タラタラだ。
昨日、外交官ビビス・スキャナーからスチラ国の令嬢の接待をせよと提案された。よくよく考えれば断ってもよい案件だったような気がする。
(薬物事件は民に被害が出ているから、あらゆる毒に身体を慣らしている俺が動くのも理解できる。
だが、アバズレ女の接待を何故、俺自らする必要が!? ラシェルにも会えずにいるのに、どうでもいい女と一日中一緒!?)
「ふざけるなよ!」
最後の脳内討論が声に出た。
周りにいた侍従や侍女達がアベルの怒気を含む台詞に、硬直し足が地面に縫い付けられていた。
基本女に対してアベルの性格と考え方は、ヴィルヘルムに似ている。
しかしヴィルヘルムの妻以外の人は興味無しとは違い、アベルは王太子として、将来国を受け継ぐ身としての役割を理解している。
年頃でない女やアベルを性的に見てこない人に対しては、穏やかな好青年である。
アベルを肉欲対象にしない彼ら彼女らには、尊敬に値する人物と写り、裏表がなく圧倒的な魅力的を見せつける、真っ直ぐで自慢の王太子だった。
であるが、いくら公正な王太子で、ウットリする美しい顔面をしていても、騎士の称号を持つに値する絞り込まれた屈強な肉体美が、他者を自然と威圧する。
「アベル、朝から機嫌が悪いね」
一足先にアベルの私室へ訪れ、優雅に紅茶とクッキーを食べているクレールの呑気な言動にアベルは苛つく。
「当たり前だろ、あの股間ばかり見てくるアバズレ女を接待するんだぞ!?
ラシェルとはあんな情けない姿を見せたまま離されて。一目見るくらい、謝るくらいさせてくれと頭をさげたのに、失笑だぞ!?」
クレールは憤慨するアベルに呆れている。
「王太子がすぐに頭を下げるからだよ。スキャナー伯爵にいちいち突っかかるから。もう黙って会いにいけばいいのでは?」
軽いクレールの返答にアベルは突っかかる。
「黙って会う!? 一応スキャナー伯爵がラシェルを婚約者として発表しようと最初に言ってくれた。
俺はラシェルを認めている人物は大切にしたい。ラシェルが王妃として将来、俺の隣りに立つ時には力になる」
「…まあ、あそこの令嬢も、ラシェル系だからね。社交界ではさっさと大物を釣り上げてさ。すでにスキャナー伯爵(父)と同じ外交官として働いているらしいよ。
恐いね、女の人って。僕はあのタイプが妻はイヤだなぁ」
最後の紅茶を飲みきって、テーブルにわずかな音も立てずソーサカップを置いて、クレールはふわっと微笑んだ。
「スキャナー伯爵令嬢? なんだそのラシェル系とは。あまり記憶にないがラシェルの方がスタイルいいし、頭もいいだろう。たかが一令嬢と、高貴なラシェルを一緒にするなよ」
「……食いつくとこ、そこ?」
***
アベルは噂話を聞かないタイプで、己の目で見たものしか信じないタイプであるから、男女の恋愛ゲーム的なのには一切の興味がない。
当然、誰が誰を好きかなどと全く知らない。
例外として。ラシェルが誰を好きかだけは、彼女のかつての恋人達の情報だけは、不必要な事まで知っていた。
かつてのラシェルの恋人っぽい男達も、己の友人知人、趣味や能力以外に、まさか男の象徴の長さや太さ、玉袋の大きさまで調べあげられているとはつゆ知らず。
『あぁ、あいつは短小だから長続きしないな。ラシェルの好みはヴィル叔父上、まだ俺の方が立派だ』
とアベルは情報入手源のクレールに、偉そうに発言した事もある。
クレールは笑顔の上で、確信をついてやる。
『アベル。陰茎の大きい小さいは関係ないよ。大切なのは、いかに感じる前戯をし、身体よりも心を満たし、ラストは腰の動きで強弱をつけ、ピンポイントで官能部分を刺激させ、イカせるかだよ。
いいもの持っていても、アベルのは宝の持ち腐れっていうんだよ』
二人の会話を聞いた皆が、クレールに抱かれたいと思ったのは当然で、元々あった人気がさらに爆発的に急上昇することになった。
純粋なアベルはクレールの教えを受けて、友人や部下、年配者などから性体験を聞き学び。
さらにありとあらゆる分野の本を読み。
人や動物の人体構造を学び、専門書である医学書までに手を出して完璧に脳内に叩き込んだ。実地以外では誰よりも女性の身体に詳しくなっていた。
お産の処置まで勉強しており、すでに馬や猟犬などのお産に立ち合いどういった時には、どうなるかを医者よりも詳しく、その筋のエキスパートになっていた。
これには流石のクレールも引きに引いた。
『…お産の手伝いまでする気なの?』
『いや、手伝いではなく。俺が取り出すまでする。大事なラシェルの身体を他人には任せておけない』
『気持ち悪いよ、本当に、気持ち悪いよ』
クレールの言葉はアベルの耳には入らない。
学ぶ事は良い事だ。
医学の知識があるのは強みになるが、それが全てラシェルをいかに気持ちよくイカせるか。ラシェルの身体は全てアベルのもの。という斜め上からの努力だとは一部の人以外は知らない事実となっていた。
***
「そこ以外に、どこに食いつけばいいんだ?」
クレールの前にドカッと座り、昔から好きだった胡桃入りクッキーを口に含み、クレールのメルタージュ家特有の氷のように冷え冷えと整った顔面を睨みつけた。
ある程度用意が終わった侍従侍女らが、退出したのを確認し、クレールは口を開く。
「あのねアベル。さっき僕が話した中で気になるだろうところはね。《社交界ではさっさと大物を釣り上げた》そこだよ、そこ。普通は、大物? それは誰だ!? になるはずだよ」
呆れた物言いのクレールに、アベルは当然納得しない。
「デマだ。釣り上げてない。婚約はまだしてないはずだ。それでは釣り上げたうちに入らない。ただの幼稚な好き嫌いまで俺は知らん。どうせ相手は日々変わる変わる。
貴族の婚約状況は全て頭に入っている。今現在婚約中の37組の中にスキャナー伯爵令嬢はいない」
その頭の中はどうなっている!?とクレールは正直恐かった。
「まさか全部覚えてるの?」
「当たり前だ。勢力図は戦において重要。知っていて悪くはないだろう」
(戦って…アベルの頭はちょっとイタイ系だよね)
記憶力の素晴らしさが、活かされていない。少しずつズレているのだ。いい王になりそうではあるが、これはやはり常識人であるラシェルに手綱をもってもらうべきだと、改めてクレールは思った。
「…アベルって本当に記憶力がいいよね。色んな分野に渡り博識だし、肉体健康も最高水準で、毒物にも耐性あって、何、何、魔王にでもなるつもり?」
「魔王?? 全ては、ラシェルを妻に迎えて、ボルタージュ王国の王になる為の布石だ」
幼い頃から全くブレないその宣言。見事だ。
「…うん、ま、もういいよ。これが解決したら、ラシェルとの婚約だしね。
話を戻すけど、その大物はレオナルドだよ。文通しているらしいよ。これは内緒だけど」
「レオナルド? って。ラシェルの兄のレオナルド!?」
「そうだよ」
「レオナルドよりは…かなり年上じゃないか?」
「アベルに言われたくないでしょ。アベルよりだいぶ年齢差はないよ」
(ぐっ…それは)
アベルは黙る。
それを言われたら終わりだ。アベルは25歳とラシェルは13歳の年齢差は12歳差。これは流石に離れ過ぎている。
その点、レオナルドは17歳、スキャナー伯爵令嬢は22歳だった。女性が年上も珍しいが無い訳ではない。
この場合、スキャナー令嬢の勝利だろう。まだ騎士の称号をもらう前のレオナルドに、誰よりも早く唾をつけた。
それはもうモテて当然のレオナルドを、いち早く手中に収めようとしている。父であるヴィルヘルムの教育もあり、レオナルド自身も何人もの女を相手にするのには嫌悪感もあるはず。
裏がないとは言えないが、綺麗ごとだけでは無さそうだとクレールが思うのは当然だった。
「ま、せっかくの接待だし。楽しまなきゃだよ。そうそう、アベルは股間大好きなデール伯爵令嬢マルシェをエスコートしてね。絶対にアベルのイチモツはデール伯爵令嬢好みのデカさだろうし」
嫌味ったらしく、アベルの股間あたりを指さす。
「はぁ!?」
クレールの意見にアベルが賛成するはずがない。
「僕は、サールベン伯爵令嬢のルビー嬢をエスコートするからさ」
「ちょっと待て、イヤだ。絶対にイヤだ。逆にしろ、逆に!!」
「試験みたいなものだから、アベルが頑張らないとダメだよ? スキャナー伯爵が言い出したし、あの腹黒狸にはあらかた予想できていて、でも物的証拠が無いんでしょ。
十中八九、きっと薬物に関わってるのはデール伯爵令嬢だよ。男を手玉に取って遊んでそうだからね」
「俺の股間はラシェルのモノだ。触っていいのも使っていいのもラシェルだけだ!!」
何を偉そうに宣言するんだと、クレールは絶句。
「キモい、キモい、キモい、キモい、キモい、触る!? 使うって何!? キモいよ、キモい。
最近は意気消沈して、ラシェルを諦めるしかないって言ってたよね? 何? 少し希望が見えたからって開き直りが過ぎるよ」
「キモくない。ヴィル叔父上も似たようなものだ」
話は終わりとばかりに、テーブルいっぱいに並んだ朝食をアベルは平らげていく。
朝から凄い食欲だ。側から見ていると食欲が失せていく食べっぷりだ。量は凄いが流石王太子アベル。貴族らしい大変優雅な所作を披露しながらの大食漢。
(ヴィル叔父上も見目以外は残念な人だよ? いちいち突っ込まないけどね。
外見は異常な程美しいのに、内面がとことんキモさを極めていく血縁者達が恐いよ…。
ずっと絵だけを描いていたい…でも腹黒狸との対決も楽しいし宰相になるのも捨てがたい)
氷のような冷たさがある見目のクレールだが、アベルの側にいる時はいつも微笑んでいる。アベルとの会話を楽しんでいるのと、単純に目の保養だった。
クレールは文官になり、アベルは騎士として軍部に所属。あまり会うこともなくなった二人だが、決まってクレールはアベルに会いに来る時がある。
それは部下や先輩らの見目が悪く、不潔な奴等と至近距離で仕事をした時。
香水や化粧を塗りたくり、色仕掛けを披露する女を相手に舞踏会で踊った時。
肥え太った官僚などと食事会をした時。
決まってアベルかラシェルかレオナルドに会いにくる。
(仕事で汚い男と至近距離で話したか? クレールも大概分かりやすい)
クレールは精神統一の為に、おもむろに紙と鉛筆を出して食事をするアベルを描く。
「キモいと言うわりには、俺を絵に描くんだな」
嫌味とかではなく純粋な疑問だ。さっきキモいを連発され、今現在自分をデッサンされていたら問いたくはなる。
クレールは綺麗な人やモノを描くのが好きだ。
「アベルは内面がキモいけど。見た目は美術的にいって最高レベルだから。ヴィル叔父上もだけど、デッサンは別」
「…そうか」
二人はいつもこうだ。アベルも常に他者から見つめられる生活の為、気にならない。
デール伯爵令嬢マルシェ、サールベン伯爵令嬢ルビー。二人の令嬢に会うまでの時間をアベルとクレールは互いに好きな事をし過ごす。
コンコン
「失礼致します! サールベン伯爵令嬢ルビー様。デール伯爵令嬢マルシェ様。王宮にご到着致しました!」
嫌な宣言が静かな室内に響き渡った。