悪役令嬢だって恋をする
6、アベルとラシェル
雑なハニートラップ事件というか、事故的な場所から離れたアベルとラシェル。
現在歩いている場所は王族専用の居住区だから、関係者以外はいない静かな場所となっていた。
アベルに抱き上げられたまま運ばれるラシェルは、嫌な令嬢マルシェの事などもう頭から消えていた。
それはもちろん久しぶりに、大好きな人に抱っこされていて、さらに好きな人の匂いをふんふんと嗅いでいるからだ。
アベルの嫁にならないなら、肉体的な接触をしてはいけない と。ラシェルは自分自身にいい聞かせていた。
いくらアベルに抱きつきたくなっても。
いくら口づけしたくても。
いくら股間をモニモニして、アベルの甘い声を聞きたくても。
それをしてはいけないと、ラシェルは理解していたから。
(あぁーアベルお兄様の匂いって、ほんと落ち着くわー。首筋からいい匂いがするぅー、舐めたいなぁ、舐めたい…舐めよう)
どうしてか思考が明後日の方向に突入したラシェルは、己の欲望のままアベルの首筋に舌を這わせた。
「ぅあっ!? ラ、ラシェル!?」
「まっ! アベルお兄様たら。驚き過ぎよ」
いきなりの触れ合いにアベルは真っ赤だ。一瞬だったが、いまだに首筋にラシェルの小さな舌が触れた感触が蘇る。
どんな美女のハニートラップにもかからない鋼鉄の心臓を持つアベルでも、唯一の弱点ラシェルには翻弄されまくっていた。
「いや、驚くだろ!! いきなり舐め…舐められたら!?」
「舐めるだなんて、ちょっとだけ舌を這わせただけですわ。大袈裟な」
安定感抜群の腕に腰掛けながらラシェルは、少し上体をアベルから離し視線を合わせた。
目が見開いているアベルが面白く、ラシェルはアベルの唇を指先でトントンと突いた。
「またそんな色っぽい顔して。アベルお兄様、隙を見せたら襲われますよ?」
「……隙を見せるのは、ラシェルだけだ。それに隙を見せても、襲ってこないじゃないか…」
ラシェルを抱く腕の筋肉が締まったのが分かる。緊張だ。
「当然ですわ。私はもう子供ではありませんもの。興味だけで殿方の身体を、触ったりは致しません。淑女としてはいけない事ですわ」
「別に俺なら大丈夫だろう?」
「アベルお兄様が一番ダメ。だってアベルお兄様は未来のボルタージュの王です。
妻でもない、恋人でもない私がアベルお兄様のお身体を触るなんて、良い訳ないです。未来の奥さんに悪いでしょう?」
話しながらも、どんどん傷ついていくアベルの顔をラシェルは逸らさずに見続けた。
ここで逸らせばラシェルの本気が伝わらないからだ。
清廉潔白なアベルが変わるのが怖い。気持ちが変わるのが怖い。未来の気持ちなんて儚いものだ。変わらない想いなんてあるはずない。父ヴィルヘルと母ティーナ以外は、信じない。信じられない。
「ラシェルは、俺が嫌いか?」
「大好きですよ」
嘘はつけない。ここで嘘をつけば、仲の良い従兄妹いとこという繋がりまで失ってしまうから。
妻や、恋人でなくても、従兄妹の縁まで切る気はない。
「好き…なのか?」
これには聞いたアベルが驚愕する。脳内は警報が鳴り響く。
(えっ? ラシェルは俺が好き? えっと、じゃあ何故、結婚はしたくないんだ? 妻にも恋人にもなりたくないとは何故だ?)
「好き…なら、口づけくらい…いいと…思う」
アベルの雰囲気が一気に甘くなる。逃がれないと頭からガブリと食べられる濃厚な色気だ。
ラシェルがアベルから瞳を逸らさなかった後悔をもっても、すでに時遅し。からめとられるような甘さは、ラシェルの身体の自由を奪っていく。
(口づけなんて、ダメ! ダメ!! 絶対にダメぇー!!!)
脳内でいくら拒否しても、身体が拒否してないから大変だ。
アベルの足が向かう場所が何処か理解し、これは本格的にヤバイと思う。
侍従や侍女は絶対に二人を止めない。案の定、アベルの自室兼寝室に入室。
久しぶりの二人を見て、微笑ましく身を引く従順な侍従や侍女達。
(アベルお兄様をとめてよー!! 未婚の男と女を部屋に二人きりって駄目じゃないー!!)
あっという間に、二人きりだ。
「ラシェル、口づけだけだから…」
(く、口づけだけって、顔じゃないし、口づけだけも駄目って、あぁー言え、私!!
アベルお兄様に見惚れている場合ではない!!)
「アベルお兄様、あの…」
「嫌なら殴って逃げたらいい。ヴィル叔父上にある程度の護身術は習っているだろう?」
声が甘くて身体に力が入らないし、興奮から身体が熱くなり泣けてくる。
ラシェルの状態をあざ笑うかのように、大きなソファーチェアーにゆっくりと、高価な割れ物のごとく優しく下ろされる。
その間も互いの瞳は、見つめ合ったまま。
腰掛けたラシェルの横に、隙間なくアベルが座ってきた。弾力のあるソファーチェアーの軋む音が、静かな室内に響き渡る。
「ラシェル。嫌なら殴って逃げたらいい」
何度も言い聞かせるように紡がれるアベルの言葉。嫌じゃないから、どうしたらいいのかラシェルには分からない。
大好きな人に求められて逃がれるのか? 無理に決まっている。
(無理よ。だって、私はアベルお兄様が大好きなの。無理、無理、嫌じゃないから殴れない、嫌じゃないから、逃げれない)
見つめ合ったまま逃げないラシェルに気を良くしたアベルは、ラシェルの肩に手を置き優しく優しく拘束する。ただ添えるだけの優しい拘束。
「ラシェル…」
最後とばかりに名前を呼ばれて、目を閉じてしまった。
それは奇しくも合図となる。
鼻の先端があたる。鼻先は当たったまま、角度が変わった。その瞬間、ふにゅっと柔らかい物体がラシェルの唇を覆う。
筋肉で覆われたアベルの肉体だが、唇はこれほど甘く柔らかいと知るのはラシェルだけだ。
しばらく唇に吸い付いていたが、今度はハムハムと軽く食んでくる。
「ぅふっ、んっ」
「…ンッ……」
ラシェルとアベルの鼻に抜ける艶声は、二人同時に性への扉を広げてしまう。
閉じていた唇はゆっくりと開いていき、さらに唇は密着する。本当にいつぶりか? もう長い間、禁欲的に我慢していた二人だ。
開いた性の扉は、全開になってしまう。
開いた互いの口の中に舌が入る。ねっとりと絡み合うアベルの舌がラシェルの性部を刺激し、思わず腰が揺れてしまう。
紙面だけでなく、ラシェルは次の段階を両親の睦み合いを見学(覗き見)して知っている。
(あぁ、ダメ、き、気持ちいいわ、アベルお兄様ぁ)
「んっ、んっ、ちゅるっ……んっ」
「ンッ…ジュルッ…………ンッ」
ラシェルの肩に手を添えているだけ。太腿は少し触れ合っているが身体は離れている。
その状態でもすでにアベルの股間部は、はち切れんばかりに盛り上がり、先端の形状が目視できるほどだ。
閉じていた瞳を開いて、ちらりと見れば純粋に嬉しいと感じてしまう。アベルはラシェルが欲しいのだ。男女の交わりをラシェルとしたいのだ。
拒否してながら喜びを感じるラシェルは、皆が言うように悪役令嬢そのものだ。
仄暗い喜びは、ラシェルを急に冷静な脳へと導いていく。
(アベルお兄様は、なんで薄いトラウザーズ履いてるのよ…。薄いのは局部が分かるから、絶対に厚手を履いてって、前に言ったのに…)
立派なアベルの股間部は、通常使用でかなりデカい。まさしく父ヴィルヘルと同じくらいに。
だからラシェルと二人きりになる時以外は、厚手のトラウザーズにしてと頼んでいた。
あまり他人に知られたくないと、ラシェルは常日頃思っていた。アベルには最高の見目と最高の肩書きがある、もうこれ以上、男としての魅力はいらないのだ。
「…ンッ…(ラシェル…ラシェル…ラシェル…)」
口から流れ落ちる唾液を互いに吸いながらも、ラシェルは冷静になり、アベルはどんどん性欲が増しただの男になり下がっていく。
(もう、ちょっと、息苦しい…わ)
一向に唇を離さず、約束通り口づけのみ味わうアベル。ぐにぐに押し当て、吸い付きを繰り返し、欲望のまま口づけを堪能している。
更に深くなる口づけに、ラシェルはひとまず休憩がしたかった。
意味もなくドレスを握りしめていた手を前に伸ばして、可哀想な程に張り詰めたアベルの男根の先端をピシッと軽く叩いた。
「ンッアッッッ…!!」
思いもしないラシェルの攻撃は、アベルの腰に電流を流し、その衝撃は脳にまで突き抜けた。
やっと離れた唇は、互いの唾液でテラテラと光っていた。
「長いです。窒息死でもさせるつもりですか?」
行儀悪かろうが、冷静に話も出来ない今にイラッとし、アベルに見せつけるように、手の甲でぐいっと唇を拭いて怒りを見せた。
「違う…悪かった…」
素直に謝罪し、身体を離したアベルに心が折れそうになる。がしかし絆されたらダメだ。
「アベルお兄様、女の子はそんな濃厚な口づけ、好きじゃないですから。最初の優しい口づけ〝だけ〟でいいです。はっきりいって冷めます」
あきらかにアベルの表情が硬直している。
「…すまない…ラシェルの声が可愛くて。唇の柔らかさに意識がもっていかれた。
…あまりにも…あまりにもラシェルとの、こういうのが久しぶりで、途中から理性が……本当に…すまなかった…」
正直過ぎて、頭がクラクラする。
(アベルお兄様ぁー、純粋過ぎる!! 先行き不安。でも…純粋だからこそ、負を知れば思いも変わる。他の女を知れば絶対に私なんて好きにならない。
変わらない思いなんて、ないはず…だから…)
自分が傷つく前に関係を切る。そう脳内で理解すれば、何故アベルの伴侶になりたくないのか答えが出た。
(あぁ、そうか、そうよね。もう私はアベルお兄様を愛してるから。
後戻り出来ないくらいアベルお兄様の事を愛してるから、恐いんだわ)
自分の気持ちが分かって笑える。
前世からの保証がある父と母は唯一無二だ。でもアベルとラシェルは違う。前世からの約束なんてない。アベルにはもしかしたら運命の相手がいるかもしれない。
その相手が見つかってしまえば、ラシェルはお役御免となる。
ちょっと行き過ぎるくらい人との繋がりを欲しているラシェルには、心を預けた後の裏切りが一番の恐怖となるのだ。
それでも、もし、もし、アベルのラシェルに向ける想いが、父ヴィルヘルムと母ティーナの〝それ〟に近ければ…。
「………アベルお兄様は、私を好きなの?」
ラシェルの発言にアベルは頭痛がしてきた。何を今更だと思う。
好きだとこれほど態度に表していて、何度も性的触れ合いをした。全てラシェルだけに。
「好きという軽い気持ちじゃない。俺はラシェルを愛している。…時々自分が恐いくらい」
アベルの顔は苦々しいものだ。
付け足された言葉に、まさか?と。ラシェルは花が咲きほこるほどの喜びを感じた。
(まさか、でも、そうなら…そう言ってくれたら…)
続きを聞きたくウズウズしてしまう。
「自分が恐いとは? 何が恐いのです?」
行き過ぎた己の重い愛を伝えるべきか否か。すでに周りからは重いレッテルを貼られているが、それをラシェル本人に言葉で伝えていない。
(言うか? 言ったら終わりかもしれない。ラシェルとの関係が終わったら、俺はどうなる? 他の女に目を向けれるか?
……無理…だろうな。俺の子供がいなくても、最悪血統がなくなる訳でないから構わないか…)
自問自答しても、答えは決まっていた。言うしかない。
アベルは思い悩んでいるのに、ラシェルの顔はいつの間にか輝くような笑顔だ。
(はぁ…楽しそうな可愛い顔して。今から俺が話そうとしている恐ろしい内容を、全く分かってないなラシェルは…)
アベルは、まだ言うか迷っていた。