悪役令嬢だって恋をする
8、最大のミス

 
 頭を胸に埋めたまま硬直しているアベル。それをいい事に、ラシェルはアベルの頭を撫でていく。

 こうなったら(性へのスイッチが入ったら)二人に会話は無くなってしまう。

 いつもそうだった。

 決して褒められた事ではないと理解している行為だからこそ、少しでも互いが先を求めたなら暗黙の了解で身体を触り合う。

 いや触り合うと言っても、触るのはラシェルのみでアベルからは基本的に触らない。
 ラシェルに腕や手を掴まれ、そのアベルの手や腕が、豊満な肉体にふれる。ここまで導くのはラシェルだ。


 力も強く、身体も標準より大きいアベルは、他者に威圧を与えていると理解していた。

 王太子として、将来ボルタージュ王国を導く絶対的な君主としては、その漲るオーラと圧は使えるがラシェルに恐いと思われたくない。

 ラシェルには絶対、嫌われたくないのだ。

(頭を…撫でてくれる? 抱きしめたいが、まだ胸に顔を埋めておきたい。
 …下半身が、ちょっと辛いな。ラシェルはいつまでこのままを望む?)


 静かに次を待っていたアベルには、少し先の未来。まさかの乱入者に甘い雰囲気を壊され。思いもよらない最悪の展開を作り出されてしまう。


 最悪の展開の始まりは、いつもと違う声だった。


 いまだに抱き合う二人の耳には、切迫した侍従や侍女らの声が聞こえてくる。

 部屋の外の声が気になり、少し顔をあげたアベルは、ラシェルの見事な爆乳から顔を外し、同時に身体も外した。

「うん?」

 そこで違和感に気づいた。

 ラシェルと離れようとした結果、アベルの着ていた袖に付いていたボタンが、ラシェルの着用していたドレスの宝飾品に引っかかり引きつってしまう。


「あら?」

 引っかかってしまいましたわ。とラシェルはアベルに言おうとした。

 その瞬間、事件はおこる。

 アベルの顔が近くにあり、久しぶりの至近距離にドキドキしたラシェルは、羞恥心からちょっとのけぞったのが悪かった。


「あっ!」

 袖に引っかかった薄い繊細な生地のドレスは、強い力に耐えきれず、無惨に引き裂かれてしまった。
 引き裂く力は案外強く、ラシェルの巨胸を覆い隠す光沢の布地は、無惨に腹まで破れてしまう。

 公式の場以外ではコルセットをつけていない為、破れたドレスの下は柔らかくプルンッと揺れる二つの膨らみが晒されてしまう。

 それに驚いたラシェルはバランスを崩し、いき良いよく背中からソファーチェアーに倒れてしまう。


(わっ、倒れ、)

 ソファーチェアーの肘掛けに頭が激突する未来を想像したラシェル。ギュッと目を閉じて身構えるが痛さはない。


「あ…れ?」

「ラシェル!! おい、大丈夫か? どこか打ってないか?」


 心配そうな声が頭上からふってくる。ラシェルの小さな頭は、アベルの大きな手に守られていた。

(ふぉーーー!!! アベルお兄様、流石の反射神経! どこまでも素敵っ!! 
 で。きゃぁぁぁ、押し倒されてるみ、た、い。きゃっ!!!)

 覆いかぶさるような状態に、特別な男女の行為を連想でき、ラシェルはまたドキドキが膨れるが、倒れた心配をするアベルはそれどころではないようで、しきりに頭を確認している。


「アベルお兄様、大丈…(大丈夫ですわ)」

 ラシェルの台詞は乱入者の怒号によってかき消された。



「っ何をしている!!!」

 重量感があり耳馴染みの良い声だが、その普段からは到底想像できない怒りのオーラを感じ、ラシェルの身がギュッと絞まる。

 乱入者は上着を脱ぎながら、硬直しているアベルとラシェルの側に走り寄り、脱いだ上着をラシェルに掛けたかと思うと、アベルの胸ぐらを掴みラシェルから引き離す。

 そしてそのままアベルの頬を手加減せずに殴った。軽く吹っ飛ばされたアベルに驚き、ラシェルは殴った人を呆然と見上げる。

「ぁ、(おじ様)」

 突然の事に頭が整理できず、ラシェルは言葉が紡げない。


「アベル!!! お前には失望した。これが大事に想う人にする事か!!!
 私は、はじめから反対だった。今後一切ラシェルには近づくな。お前には隣国の王女か、候補にある伯爵令嬢と結婚してもらう。
 これは王としての命令だ。言い訳は聞かない」

 静まりかえる室内は、王であるウェルナーに支配されていた。

 ウェルナーからの爆弾発言に、ラシェルは呆然としてしまう。


(はじめから、反対? 隣国の王女?伯爵令嬢?とアベルお兄様が結婚!?
 なんで、待って、どうして!? だってアベルお兄様は、お父様みたいに私を)

「ま、待ってください。 お、おじ様!」


 声が震える。

 頭脳戦大好きラシェルとて、まだお子様なのだ。

 騎士の称号もあり、決して優しいだけではない王ウェルナー。ボルタージュ王国を率いるウェルナーの言葉は、ラシェルの言葉を全て奪っていく。


「ラシェル、これでお前も目が覚めただろう」

(目が覚める? おじ様は何を言って?)


「リズー。ラシェルを連れていけ」

「待ってください、私は」


「アベルには今後一切、近づくなと約束させる。恐い思いをさせたな。すまない。ヴィルにも話すから安心しろ」

(待ってください、違う、やめてください、恐いって!? 意味が分からない!!)


 侍女頭であるリズーが痛ましそうにラシェルを抱きしめながら、立たせてくれる。
 王の上着であるはずだが、それにシワがつくのも構わないのか、それごと抱きしめられて、はじめて現状を理解する。

 皆の表情の理由。ラシェルの無惨に破れたドレスは、アベルに襲われて破かれたと思われたのだ。

 ありえない間違いだ!! 勘違いだと言おうと口を開くラシェルに、ウェルナーは圧をかけてくる。


「何も言うな。この部屋から出て行け」


 ウェルナーの冷たい言葉に涙がブワッと溢れた。今、泣けば更に事態が悪化するのだが、純粋な叔父ウェルナーからの怒りに身体がすくんでしまう。

(いや、いや、違う、アベルお兄様!何か言って!)


 絶対的な決定権をもつ国王であるウェルナーに見られたのが最悪だった。

 ラシェルは襲われていない、全くもって勘違いだ。しかしそうは言えない己の見た目。さらに事故で破いただけ、だとアベルが言わないのだ。

 故意ではなく事故であるのに。

 皆が勘違いしているのに何故アベルは大人しくしているのか? 黙っていたら肯定したのと同じになる。アベルの理解できない姿は、ラシェルを冷静さから遠ざけていく。

 間違いを正す事もさせてもらえず、ラシェルは強引にリザーに歩かされ退出させられる。


 ラシェルが退出させられて、その姿が見えなくなると同時にウェルナーも部屋を出る。


「しばらく頭を冷やせ」

 父ウェルナーからの冷たい言葉に、アベルは「はい」とだけ答えた。




 力いっぱいに殴り飛ばされたアベルの脳は、まだグラグラと揺れている。

 ヴィルヘルムほどではなくともウェルナーも一般的に騎士の肉体を持ち、常に身体を鍛えている。
 そんな父からの足にくる重い一発、これほどの強さで殴られたのは初めてだ。

 これは本格的にヤバイと思われた。

 もちろん父の言うようにラシェルのドレスを破いたのは故意でない。
 しかしアベルのプライベート空間にラシェルを連れてきて、大なり小なり〝そういう行為〟をしたのは、まぎれもなくアベル自身で間違いない。

 偶然の事故であってもラシェルを組み敷いていたアベルを見て、皆の視線がアベルを全面的に信用していないと物語っていた。


「……細い細い綱渡りだったのに、俺は、自らそれを…」


 年齢差、血の繋がり、生活圏全てが近い現状、どれをとっても、あまりにも良くない条件が揃っていたアベルとラシェル。

 それでも二人が互いに想い合っていたからこそ、目を瞑ってくれていた。

 父は本気だ。王太子としての責務だと言われれば、アベルに拒否は出来ない。

 ラシェルがアベルと結婚するつもりがないのであれば、アッサリと崩れる砂の城のような関係。騙し騙し関係を繋いでいた罰なのかもしれない。


「ラシェルを…想う気持ちを無くすのは、絶対に無理だが…。
 …俺の妻としてラシェルを望むのは不可能だと、もういい加減、諦めざる終えないか…」

 王としては反対なのだが、父としてウェルナーはアベルの気持ちを受け入れ、際どい動向にも目をつぶってくれていたのだ。

 あくまで二人が想い合っているから…。

 だからこそ今日の場面は、アベルの想いを信じてくれていた父の顔を潰した。


「…確かに…あれは誰が見ても、襲って見えるな」


 現状としては、もう諦める未来しかない、それなら仕方ないと諦めもあった。

 アベルとして、一人の男としては、ラシェルしか愛せないが、ボルタージュの王太子として、あてがわれる女性を愛する努力が必要となる。

 頑なに拒否してきたラシェル以外の女との性行為も、未来に居座る愛せない妻と行わなければならない。


「……はあ…媚薬でも使えば、なんとかなるか」

 父と、そしてもう一人、尊敬する人物。剣の師匠であり叔父でもあるヴィルヘルムをアベルは裏切った事になる。


「まぁな。皆の誤解より、ラシェルが一番大事だ。破いたのは故意ではないから、男に恐怖は抱いてないのが救いだな。
 ラシェルが傷ついてないなら、それでいい」


 いつまで座っていても解決はしない。

 今後は父の言うように行動し、王太子としての責務はあると信じてもらうよう、アベルは重い腰を上げ、父のいる執務室を目指した。

 今回でラシェルと触れ合えるのが最後だったのならば、最後に思いきり抱きしめておくんだったと後悔が頭を過ぎる。


「この思考がすでに、アウトか…」

 金色の美しい髪をガシガシ掻きながら、ラシェルの肢体を思い浮かべた自らの思考に、呆れながらツッコミを入れた。


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