猛獣御曹司にお嫁入り~私、今にも食べられてしまいそうです~
食事を終えると、諭は一度ホテルに戻ると言う。

「幾子を送ったら、俺も仕事に戻るよ」

車で来ていた三実さんが言う。
ひとりで帰れると思った。諭を送って、ひとりで電車で帰れる。書店に寄ったりして帰ってもいい。でもなんとなく言いだしづらい空気を感じた。言葉にしちゃいけない気がした。

「三実さん、ありがとうございます。諭、気を付けて。みんなによろしく」

私は三実さんに従い、諭に手を振った。

「幾子お嬢さんも身体に気をつけて。二週間後にまた会いに来るからな」

諭の懐かしい笑顔が雑踏に消えるのを見送った。

「さて」

三実さんの声が背中に響いた。彼は屈み込むように私に顔を寄せ言った。

「帰ろう、幾子。今夜はさほど遅くならないけれど、夕食は先に食べていてくれ」

つうと背筋に冷たいものが流れる感覚があった。

「……はい」

三実さんに送られ、私は金剛邸に戻った。

夕食を済ませ、お風呂を済ませて、実家から持ってきた本を読んだ。何度も繰り返し読んだ本は、安心できていい。雑誌はさほど読まないし、まだ自宅の実感がないこの離れに自分の荷物を増やすのは気が進まず、新しい本は買っていない。

諭に会えたのは嬉しかった。だけど少し寂しくもなった。
覚悟をしてお嫁にきたはずだったのに、諭と会ったら京都に帰りたい気持ちが湧いてくる。

さりとて三実さんと離婚して京都に帰るとなるとあまりに現実感のない考だ。
なんとなく『あの頃はよかったな』とそう思うだけ。

私は最初から父の駒。甘屋の跡取りの役目から下ろされ、条件のいいところにお嫁に出された。
自分の人生については昔からたいして期待していないんだから。与えられた環境で、小さな幸せを見つけていけばいい。

三実さんにもっと心を開いて、信頼し合える関係を築こう。
次に彼が求めてきたら、私は彼のものになろう。名実ともに彼の妻になろう。

それが私にできる仕事。
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