お嬢様。この私が、“悪役令嬢”にして差し上げます。《追憶編》
しかし、その瞬間は訪れなかった。
ふっと首元の締め付けが緩む。
驚いて目を開けると、メルは拳を振り上げたまま静止している。
胸を押され、弾かれた。
動揺してメルを見上げるが、彼は何も言わなかった。
やがて、会話もなく遠ざかる背中。
ダンレッドは、呆気にとられて立ち尽くす。
「…なんで、やり返さないんだよ…」
数えきれない金貨が入った麻の布袋が、するり、と手をすり抜けて地面に落ちた。
路地の向こうに消えた背中を、ダンレッドはいつまでも見つめる。行き場のない怒りと悲しみが、ワッ!と胸に込み上げた。
視界に映る金貨。
地面に散らばったそれは、とても無力に思えた。必死に稼いで貯めたお金は、彼の背中を押す力もない。
彼の背中を追いかけてきて、相棒として隣に並んで、彼の力になりたいのに。つらいの一言も言ってくれないほど、今の自分は頼られない。
ダンレッドは、目に映る金貨の線がぼやけて初めて、自分の目に涙が込み上げていることに気づく。
「…お願いだから…、助けて、って言ってよ…」
その弱々しい声は、メルの耳には届かなかった。