パン屋
私は今日もいつもと同じパン屋さんに来ていた。地元じゃ有名な小洒落たパン屋。店内はモダンで温かみを感じ、木製の家具が落ち着きを与えてくれる。沢山種類があるがここのクリームパンが好きだ。とにかく柔らかくて中のクリームも最高。甘過ぎずちょいどいい。

隣には本屋さんもある。いつも先に新作が出ていないか先に物色してみる。新書コーナ。文庫散々見たが気になる物は特に無かった。

パン屋に向かう。店に近づくだけで外からでもパン生地の甘い香りに包まれていく。耐えきれずに私は早足で入口に向かう。
「いらっしゃいませ」
割烹着を着たお姉さんが私を出迎える。今日もぎっしりと色んな種類のパンが並んでいる。いい香りだ。
私はトングとトレーをとり物色を始める。
クロワッサンも捨て難い。カレーパンも揚げたてだと言う。だがいつも通り私はクリームパンを選んでいた。こんなに種類があるのに私はいつもクリームパンを選んでる。私は新しい味を探す勇気のない意気地無しだ。
いや同じ物を愛し続ける一途な女だ。
いつも通り無難なクリームパン。今日は特別に2つ買う事にした。自分でも分かるくらいの上機嫌だ。食べるのが待ち遠しい。

店員さんの所に運んでいき精算を始める。
「ありがとうございます。お持ち帰りでよろしいでしょうか?」
「はい」
袋に詰めてもらい会計を済ます。はやく食べたい。
足取りは軽く周りに人がいなければスキップをしたい。駐車場に向かい車に乗り込む。エンジンをかける。このまま家に帰ってから食べようかそれとも今ひとつ食べてしまおうかクリームパンは私を悩ませる。
私は早る気持ちを我慢する事は出来なかった。袋からクリームパンをひとつ取り出す。一瞬で甘い香りが車内を包む。一思いに噛じる。パンはホロホロと崩れ口の中に入っていく。ハムと食べる。クリームが溢れ出す。幸せだ。もう一口。幸せだ。
スマホでBluetoothを車と繋ぎ音楽をかける。好きな音楽が車内を包む。鼻歌でハミングし気分も上々。普段の嫌なことも忘れて一人でこのひと時を楽しんでいた。

トントンと車の窓を叩かれた。中年の男性が困った様子で立っている。一瞬驚いたが周りに人も大勢居たので恐怖は無かった。どうしたのだろう。車の窓を開ける。
「すいません」
「はい」
「道を尋ねたいんですけど」
「あ、はい」
「市役所の場所を教えて貰えませんか」
「あ、はい」
どうやら中年の男性は道に迷ったようだ。
私は地理は得意では無いが市役所の場所くらいは知っていた。このパン屋からは近くは無いが道自体はは複雑ではない。簡単に説明も出来る。
「ここをまっすぐ行って、交差点を左で、、、」
丁寧に教えることが出来た。
「ありがとうございます」
その男性は満足気に笑顔で自分の車に向かっていった。
私も親切な事ができ心には幸福で満たされていた。食べかけのクリームパンを手に取りムシャムシャと続きを食べていった。今日はよく眠れそうだ。クリームパンを食べ終えた。
ひとつのこして家に帰る。

「ただいま」心の中でそうつぶやく。鍵を開けてアパートに帰る。一人暮らしなので誰もいない。バックとクリームパンの袋を持ち家に入る。上着を脱ぎハンガーにかける。テレビをつけてソファに座る。クイズ番組がやっていた。
ソファに沈むともう夕食を作るのが面倒だ。少し休もう。
お腹がすいたので残りのパンを食べる事にした。
今日の出来事を思い出す。
そう言えば、あの人は何で私に声をかけたのだろう。人は大勢いた筈だ。ナンパをするつもりだったのだろうか、でも連絡先は聞かれなかった。そもそもこの時代に何でナビを使わないだろうかスマホを使えば良い筈だ。
疑問は次々生まれたが今となっては確かめようがない。少し気持ち悪いが。私はクリームパンをムシャムシャ食べる。美味い。

風呂に入り床に就く。もう眠い。記憶が遠のく夢の中でも私はパンを食べていた。ムシャムシャ。美味い。ムシャムシャ。美味い。

ジリジリと慌ただしいアラームで私は起きた。うるさい。優秀な目覚ましだ。
私は顔を洗いに洗面台に向かう。水が冷たい。一気に目が覚める。化粧をして今日も仕事に向かう。


あれから1ヶ月くらいたっただろうか仕事を終えた私はまたパン屋に向かっていた。同じ市内のお店でここもクリームパンが上手い。それにここの方が家からも近いのでよく来る。楽しみだ。スーパーと隣接してる為、駐車場につくと夕食の時間と重なり店もかなり混んでいた。
車から降りるとパンの甘い香りが店からも漏れ食欲を唆る。口の中に唾液が溜まる。ここのパンはいつも食べるコンビニのパンとは違い温かみを感じる事が出来る。
はやくクリームパンが食べたい。無意識に早歩きになっていた。
店にはいる。「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」店員が次々と挨拶をしてきた。軽く頭を下げる。
見渡す限りパン。パン。パン。
お目当てのクリームパンは焼きたての札が立っている。最高のタイミングだ。私は幸福の絶頂にいた。直ぐにトレーとトングを取り物色を始める。お目当てのクリームパンを2つトレーに乗せる。触ってはいないが見た目だけでこのパンからは温かみを感じることが出来た。
ここはメロンパンも上手い。ひとつ乗せておこう。楽しみが もうひとつ増えた。

あとはどれにしよう。決まらないのでもういいだろう。私は買い物を辞めてレジに向かう。店内に人は大勢いたがレジは並んでおらずスムーズに進むことが出来た。
会員カードを提示してポイントをつけてもらった。定員さんは私のパンを丁寧に袋に包みそっと渡してくれた。
「ありがとうございました」
買い物を順調に終えあとは帰宅してゆっくりするだけだ。
私は興奮気味に店内を後にして車に向かう。駐車場は来た時よりは空いていたがまだ人は多かった。
私は上機嫌で車に乗り込む。袋の中をチラ見して中を確認し大切に助手席に乗せた。
トントンと車の窓を叩かれた。中年の男性が困った様子で立っている。窓を開ける。
「すいません」
「はい」
「道を尋ねたいんですけど」
記憶がある蘇る。あの時の男だ。何が起きているのだろう。デジャブだ。私は恐怖で震えだす。私は今起きている現実を理解出来ないでいた。
「あ、はい、」
私は恐怖で声が出なかった。自分の心音が聞こえるくらいだ。
「市役所の場所教えて貰いたいのですが」
何なんだこの人は、分からない私の思考は既に止まっていた。ずっと同じ事をしている人なのだろうか。私を覚えてないのだろう。何がなんだ分からない。
「わかりません!」
私は恐怖と怒りで怒鳴り直ぐに窓を閉めた。男は黙ってこっちを見てる。窓はゆっくりしまっていく。こんなに時間かかっただろうかなかなか閉まらない。早くしまれ。早くしまれ。
あと10センチ。
「今日は教えてくれないんだ」
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