溺愛の価値、初恋の値段
夜遅い時間ということもあって、二人ともデザートは断り、コーヒーだけを頼む。

ほどなくして、香り高いコーヒーで満たされた繊細なカップを運んで来た給仕に、思いがけないことを言われた。


「飛鷹さま。シェフより、ご挨拶申し上げてもよろしいでしょうか?」


小さなお店だから、来店した客には必ず挨拶しているのかもしれない。
飛鷹くんと共に頷いたら、廊下に控えていたらしく、すぐに背の高い四十代くらいの男性が現れた。

切れ長の目と引き結ばれた唇は、妥協を許さない厳しさを滲ませていて、白いコックコートを纏った身体は背筋が伸び、とても姿勢がいい。


「シェフの音無(おとなし)と申します。本日は、お越しいただきありがとうございます」


自分よりずっと年上の人に深々と頭を下げられて、恐縮してしまう。


「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

「わたしも……とても美味しかった、です」


飛鷹くんのように、心の底から「美味しかった」と言えないのが残念だ。


「ありがとうございます」

「オムライスは、普通には食べられないメニューだと伺ったんですが、特別な理由でも?」

「ええ、実は……」


ふっと笑った音無さんは、ガラリと印象が変わって、とても優しい顔になった。


「……このオムライスは、わたしがまだ駆け出しの頃、下働きをしていたお店の常連さんのためだけに、作っていたものなんです」

「ということは、お店のメニューにはないんですか……。不思議ですね。音無シェフのオムライス、彼女の作るオムライスと同じ味がしたんです。ああ、でも……正確に言えば、咲良(さくら)さんのオムライスの味ってことになるのか……」


飛鷹くんの言葉に驚いたのは、わたしだけではなかった。

シェフの音無さんも驚いていた。


「咲良さん、というのは……」

「あ、わたしの母です」


切れ長の目を見開いて、音無さんはわたしを凝視する。


「もしかして、お母さんの名前は……(みなと) 咲良(さくら)、さん?」

「は、はい」

「じゃあ、君の名前は『アマネ』……?」

「はい」

「咲良、さんは、いま……?」


あきらかに動揺している音無さんに、真実を告げてもいいものかどうかわたしが迷っている間に、飛鷹くんが答えてしまった。



「咲良さんは、亡くなりました。十年前に」


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