溺愛の価値、初恋の値段

わたしの父親だと名乗り出た音無さんは、咲良――お母さんとの関係を包み隠さず話してくれた。


「咲良と出会ったのは、僕が二十歳で、彼女が十六歳の時だった。咲良は、僕が修行していたフランス料理店に、月に数回は来店する常連でね。彼女の両親がオーナーと親しかったんだ。でも……当時の咲良はかなり好き嫌いが多くて、シェフ泣かせの客だったよ。彼女に出した料理は、必ず何かしら残った状態で、皿が下げられて来るんだ」


音無さんが語る若かりし頃のお母さんは、わたしの知るお母さんとは別人のようだった。
わたしに、ごはんを残しては駄目だと口を酸っぱくして言っていたのに、高級フランス料理を残すなんて……。


「まあ、いつもマナーをうるさく言われながら食べていたんじゃ、うんざりするのもわかるんだけど……。でも、料理人としてはどうにも悔しくてね。ある日、こっそり彼女に訊いてみたんだ。何か食べたいものはあるかって。フレンチに限らず、彼女の食べたいものを作るからって。そしたらあいつ……ああ、いや、咲良は『美味しいものが食べたい』と言ったんだよ。こっちは、彼女が何を美味しいと思うのかわからないから、訊いているのに」


お母さんは、シングルマザーで、きっとたくさん苦労をしたはずなのに、どこか世間知らずの少女っぽさが抜けなかった。

それは、根っからのお嬢さまだったからなのかもしれない。


「お母さん、我儘で……本当にお嬢様だったんですね……」

「正真正銘のお嬢様だったよ、咲良は。高級料理も珍味も食べ尽くしていた。それなのに、美味しいものに出会ったことがないと言う。僕は、悩んだ末に、彼女をいろんな店に連れて行くことにした。彼女が食べたことのないものを片っ端から食べさせた。ファストフード店やセルフの牛丼屋、お好み焼きに立ち食い蕎麦、ファミレス、回転ずしにも連れて行ったよ。そのうち、彼女が美味しいと思うものに、きっと出会えるんじゃないかと思ってね」

「よく……彼女の両親が、あなたと出歩くのを許しましたね?」


飛鷹くんの呆れたまなざしに、音無さんは苦笑しながら首を振った。


「許していなかったと思うよ。相手が僕だと知っていたら。咲良は、友だちに頼んでアリバイを作っていたんだ。お互い、まるで違う世界に住んでいることは、わかっていたから。でも、一緒にあちこち食べ歩きながら、他愛のない話をしているうちに……会う目的が『美味しいもの』を探すためじゃなくなっていた。咲良は、僕のボロいアパートにも出入りするようになって……。咲良が初めて『美味しい』と言ったのは、僕と彼女が狭い台所で一緒に作ったオムライスだったよ。彼女が大嫌いなピーマンを細切れにして入れたんだけどね」


にやりと笑った音無シェフに、飛鷹くんもにやりと笑った。


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