溺愛の価値、初恋の値段
金曜日の謝罪


「海音。これ、部屋の鍵」


思いがけず、音無さんという実のお父さんに会えた翌々日。
午後から出かけるという飛鷹くんは、玄関で彼を見送るわたしに、一枚のカードキーを差し出した。


「失くさないでね?」

「え……あの、外出禁止じゃ……」

「体調も良くなったし、おでこも治ったし、出歩いても大丈夫でしょ」

「マスコミは……」

「いまの世の中、一週間も経てば話題の人じゃなくなるよ。仕事もスムーズに進んでいるから、もうすぐ落ち着く予定。あと……今夜は遅くなるから、夕食はいらない。いってきます」


茫然としているわたしにキスをして、飛鷹くんは出て行ってしまった。
突然与えられた自由に、何をしようかと考えかけてハッとする。


(飛鷹くんの日本での仕事が落ち着くということは……就活っ!)


飛鷹くん宅の家政婦のような、高時給・好待遇の仕事がそうそう転がっているわけがない。
さっそく出かけることにした。





気になっていた求人について、何本か問い合わせの電話を入れ、すぐに登録や面接を受け入れられるという派遣会社へ。ハローワークでも気になる求人を相談。


(久しぶりに、歩き回ったから……疲れた)


ひと息入れてから帰宅しようとカフェを探すわたしの行く手に、四、五十代と思われるご婦人たちが次々と現れた。


「今日も楽しかったわね!」

「本当に、ためになるわぁ……」

「今夜、さっそく作ってみなくちゃ」


彼女たちが出て来たビルの入り口には、『N調理師専門学校』の文字がある。

昔、まだ「夢」があった頃、高校卒業後の進路を考えて、調理師学校の資料をいくつか取り寄せたことがある。この学校の名前も記憶にある。


(さすがに……この年で入る人はいないよね)


入学するのに年齢制限はなくとも、生徒は高校を卒業したての若者が圧倒的に多い。社会人向けに夜間のクラスもあったはずだけれど、体力と熱意がなければ、働きながら学ぶことは難しい。


(それに……味がわからないままじゃ、無理だよね)


< 113 / 175 >

この作品をシェア

pagetop