溺愛の価値、初恋の値段

「あの頃のわたしは、あなたに嫉妬していたの。空也が支えにしていたのは、母親であるわたしではなく、あなただったから。でも……それも当然のことだった。空也は、始終仲違いしているわたしと飛鷹の間で、ずっと苦しんでいた。父親からは、当然のように跡を継ぐことを求められ、母親からは、父親のような男にはなるなと言われ……。誰も、あの子の気持ちを聞いてはくれない家で、幸せなんか感じられないわよね」


そう言って、飛鷹くんのお母さんは小さく溜息を吐き、コーヒーを飲んだ。

わたしも、すっかり冷えてしまったコーヒーを口に含んだ。

冷えたコーヒーは、苦く、酸味がきつい。

不思議と味がすることに驚きながら、まるでその頃の飛鷹くんの家の様子を表しているようだと思った。


「空也は、わたしたちが別居を決めるのとほぼ同時に渡米して、今回帰国するまで、一度も飛鷹の家に戻らなかった。絶縁状態ではあったけれど……あの子がどうしているかは、やっぱり気になって。年に二、三回、空也の住むマンションの近くにあるイタリアンレストランで、通りがかるあの子をこっそり眺めていた。ただ、日がな一日店に居座る不審な客だったと思うわ。そのレストランというのが、いまの夫のお母さまがやっているお店でね……。何年も通ううちに、お店の人とも自然と親しくなって……時々、お店を手伝いに来ていた夫と世間話をするようになったの。それで……縁って、不思議なものね? 夫の息子が……」


コンコン、と窓ガラスを叩く音がして、飛鷹くんのお母さんが言葉を切った。


「あら……噂をすれば、彼だわ。遅くなるって連絡しなかったから、迎えに来たみたい」


ガラス窓の向こうには、背の高い外国人の男性がいた。
白髪交じりの黒髪に印象的な灰色の瞳をしている甘いマスクのオジサマは、わたしと目が合うとニッと笑った。


「紹介させてくれる?」

「は、はい……」


満面の笑みを浮かべて、お店に入ってきたオジサマは、まっすぐわたしたちのテーブルへ来るなり、飛鷹くんのお母さんの頬に「んーっ! ユキコ!」とキスをして、わたしには大きな手を差し出した。


「コンニチハ! アマネちゃん」


なぜ名前を知っているのだと驚く。


「ビジンのナマエは、全部ココに入ってるんだよ」


トントン、と長い指で自分のこめかみを叩く仕草は、誰かに似ていた。


「海音さんをからかうのはやめて、ジェズ。ごめんなさいね? 悪気はないのよ。女性に会って、何の褒め言葉も言わないのは礼儀に反すると思っている人だから……」


ジェズ――。

昨夜聞いた名前を思い出した。


「あの、もしかして、ロメオさんのお父さん……ジェズアルド・ヴァイオさん、ですか?」



「セ・イ・カ・イっ!」



ロメオさんのお父さんは、ニッと笑って片目をつぶった。

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