溺愛の価値、初恋の値段




「ごちそうさまでした」


誘われるまま、わたしは飛鷹くんのお母さんとジェズアルドさんと一緒に、ホテルのレストランで人生初の鉄板焼きを堪能した。


(食べすぎちゃった……)


美味しいと感じていたわけではない。
でも、目の前で繰り広げられる華麗なシェフの技に魅せられて、ついついたくさん食べてしまった。

あとから、ものすごくお高いのでは……と気がついて青くなったが、自分の分を支払いたいと言ったら、ジェズアルドさんと由紀子さん(そう呼んでと言われた)に「もうお会計は済んだから」と言われてしまった。


「海音さん。本当に、今日はどうもありがとう」

「あの、こ、こちらこそっ……」


お店を出たところで、改めて由紀子さんに深々と頭を下げられ、恐縮する。


「実は……空也に、自分がいいと言うまで、海音さんには会うなって言われていたのだけれど……でも、今日こうしてお会いできて、よかった」

「はい……わたしも、お話することができて、よかったです」

「また、お食事しましょうね? 今度は、空也とロメオも一緒に」

「ボクたち、しばらくニホンにイルからネ!」


今回、ジェズアルドさんが来日したのは、彼の日本人の弟子がS市に自分の店を開いたお祝いのため。当初は、二週間の滞在を予定していた。

ところが、思いのほか日本の料理が気に入ってしまい、もう少し長く滞在することにしたのだという。


「わたしたち、三か月ほど滞在するつもりなの」

「飛鷹くんに、予定を訊いてみますね?」

「空也が嫌がったら、ぜひ海音さんだけでも」


由紀子さんの言葉に、ジェズアルドさんが大きく頷いた。


「ソウダヨ! アマネちゃんダケでいいヨ! 両手ニ花ノほうが、ボクはウレシイから!」







タクシーで帰りなさいと言う二人の厚意を断ったのは、腹ごなしに少し歩きたかったから。

ほろ酔い加減の人たちが駅へと向かう波に乗り、目抜き通りをのんびり歩いていたわたしは、ふと駅前の高級ホテルの前で見知った人の姿を見かけ、足を止めた。

背の高い女性とホテルのエントランスへ向かうのは、見覚えのある背中。


(……飛鷹、くん?)


女性は、いかにもキャリアウーマンといったスーツ姿。
身長や体つきも二人はちょうどバランスがよくて、とてもお似合いだった。

彼女の背中に添えられた手は、エスコート以外の意味はなかったかもしれない。
でも、彼女を見下ろし、微笑む飛鷹くんの顔は、わたしが知らないものだった。


茫然としている間に、二人の姿は明るいロビーの中へ消えてしまった。


(仕事……だよね?)


ホテルに入ったからといって、部屋を取っているとは限らない。

今夜のわたしたちのように、レストランで食事をしたり、ロビーで待ち合わせをしたり、会議のために広い宴会場を貸し切ったり、という利用の仕方だってある。


どこかうわの空でマンションへ帰りつき、シャワーを浴びて時計を見れば、もう夜中の十二時を過ぎていた。


飛鷹くんは、まだ帰って来ない。


子どもではないのだから、日付が変わってから帰宅することだって、あるだろう。家族でもなく、恋人でもないわたしが、心配するようなことではない。

スマートフォンを見つめ、明日の朝ごはんはいるかどうか訊いてみようかと迷っていたら、電話が架かってきた。


ディスプレイには「イケメン」の文字。


「も、もしもし……?」

『コンバンハ! 夜遅くにごめんね? 海音ちゃん。寝てたかな?』


ロメオさんだった。


「いいえ。起きてました」

『空也いる? 電話に出ないんだよね。今日、本社とのミーティングがあったんだけど、まだ入って来なくて……』


ドクン、と跳ね上がった鼓動が喉につかえて、一瞬息が止まった。


『出られないなら、リスケするんだけど……』

「あの……飛鷹くん、まだ帰って来てないんです」

『えっ!? そうなの? うーん……わかった。今夜、高校の同級生と会うって言ってたから、盛り上がって忘れてるのかもね?』 

「わたしからも連絡してみます」

『ありがとう。おやすみ、海音ちゃん!』

「おやすみ、なさい……」


しばらくの間、茫然としてしまった。


(高校の同級生と会うって……昨夜言っていた約束って、そのこと? それなら、二人きりじゃなかったかもしれない)


ロメオさんの言うように、久しぶりに会う同級生たちと楽しく飲んでいるだけかもしれない。


(一度だけ、電話してみよう)


これは、ロメオさんが探していることを伝えるためだと自分に言い訳しながら、思い切って通話ボタンを押す。

五回目のコール音で諦めようとした時、応答があった。



『はい――』



耳に飛び込んできたのは、飛鷹くんの声ではなかった。



それは、女性の声だった。


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