溺愛の価値、初恋の値段
雅と別れ、バスを待つ間、スマートフォンの着信を確認すると音無さんからのメッセージが届いていた。

明日はお店がお休みなので、お昼頃に音無さんの家に来ないかというお誘いだ。

『行きます』と返信してから、ふと雅に言われたことを思い出した。


(味わうことはできなくとも……楽しむことはできるかもしれない)


すぐに、追加のメッセージを送る。


『一緒にお昼ごはんを作りたいです。簡単なフランス料理を教えてくれますか?』


お店が忙しい時間帯だから、返信はすぐに来ないだろう。

ちょうどバスが来たので、乗り込む。
帰宅ラッシュはとっくに過ぎているので、乗客はまばらだ。

後部座席に座り、スマートフォンを鞄へ戻そうとした手が水色の封筒に触れた。

なんとなく気になって、封筒の中を覗く。
料理教室とカフェのチラシ。学校紹介のパンフレットに、オープンキャンパスの案内が入っていた。

封筒から半分引き出しながらチラシを眺めていたけれど、パンフレットはそういうわけにはいかない。

降りる停留所まではまだ距離がある。

思い切ってパンフレットを取り出して、開く。

学校概要、カリキュラム、実習例、取得可能資格や就職先。学生紹介のページには、初々しい学生の姿だけでなく、夜間のコースに通う社会人やリタイア後に調理師を目指す人の姿もあった。

最後のページは講師紹介。特別講師には、音無さんの他、イタリアンや日本料理など様々な料理を専門とするシェフたちの写真が並んでいる。誰もが一流で、彼らが作る料理は、文句なしに美味しいのだろう。

ぎゅっとパンフレットを握りしめた時、降りるべき停留所を告げるアナウンスが聞こえた。
慌ててパンフレットをしまい、バスを降りる。

飛鷹くんのマンションを前にして、ふと、一晩自分のアパートへ戻るという選択肢もあったのだと気がついた。


(いつの間にか、帰る家が……ここになってる)

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