溺愛の価値、初恋の値段
「飛鷹くんは、わたしがいてもいなくても、自分が目指すものを諦めたりしません。あの時だって、ちゃんと自分の夢を叶えた。でも、もし飛鷹くんが葉月さんとの未来を望むなら、邪魔はしません」
「そう。だったら……」
「葉月さん。わたしと飛鷹くんの関係をどうするかを決めるのは、わたしたちです。周りの人に決めてもらう必要はない。あの頃とはもう違う。わたしも、飛鷹くんも……自分で自分の未来を選べる、大人になったから」
あの頃のような言い訳は、もうできない。
どんな関係を選ぶにしても、それは「わたしたち」が決めたことになる。
わたしには、飛鷹くんのような強さも優しさもないかもしれない。
でも、十年前と同じ過ちは、繰り返したくない。
葉月さんは、綺麗に彩られた唇を引き結んで押し黙り、言いたいことを言い切ったわたしも口を閉ざした。
沈黙が果てしなく長く感じられたけれど、実際にはほんの一、二分だったと思う。
ふっと息を吐き、葉月さんはおもむろに立ち上がった。
「どうせ、何も言い返せずに、泣き落としでもするような女だろうと思って来てみれば……。まさか反撃されるとは、思わなかったわ。空也の前では、猫を被って大人しいふりをしているのかしら?」
意地の悪い笑みを浮かべる葉月さんは、わたしに不躾な視線を向けて来る。
「そ、んなことは……」
「顔も身体も頭脳も十人並み――いえ、それ以下のくせに、空也に愛されているという自信は、いったいどこから来るのかしら?」
「あ、愛、愛されて……?」
「いまどき、結婚を考えていない相手を抱くことはできない、なんて言う男は絶滅種よ。二度も女のプライドをズタズタにしてくれて。下手をしたら、トラウマになるじゃないの。だいたい、据え膳に手も付けないなんて、不能じゃないかと思うわよね?」
「え、ええと……そ、ソウデスネ?」
再び話が見えなくなって、困惑する。
「十年ぶりに会いたいって言うから、期待していたのに……F県に住んでいる知り合いや医者になった同級生、N市の人材派遣会社に勤めている同窓生を紹介してくれと言うばかり。わたしには、父の不動産会社が所有するマンションに自分とロメオの部屋を確保して、突貫工事で改装しろと無茶なことを言うし。あの夜だって、相談があるから会いたいと言われて、わざわざホテルのバーを指定してやったのに、雰囲気読まずに『海音』の身長で使いやすいようにキッチンを改造したいとか言い出すし。しかもさんざん惚気て、わたしより先に酔いつぶれて寝落ちするし。ホテルのスタッフに頼んで部屋まで運んでもらって、いやがらせに電話を取ろうとしたら、ディスプレイが最新版の寝顔と着物姿の『海音』の二分割に更新されてるし。人のこと、なんだと思っているのかしらね? あの男は」
憤慨していても、笑みを絶やさない葉月さんが怖い。
とりあえず、まったく身に覚えがないけれど、なんらかの形で迷惑をかけたらしいので、謝っておく。
「ご、ゴメンナサイ……?」
「でも……ずっと『海音』のことが好きな空也だからこそ、好きだった。不毛ね」
「…………」
「帰るわ」
くるりと背を向け、玄関へ向かう葉月さんを茫然と見つめる。
ガチャリ、とドアが開く音で慌てて立ち上がった。
「は、葉月さんっ!」