溺愛の価値、初恋の値段
「…………」
「キッチンの改装の最終案、メールで送っておいたから、あとで確認してちょうだい。もう、五度も変更しているんだから、これ以上の注文は受け付けないわよ! じゃあね」
飛鷹くんをひと睨みして、葉月さんは身を翻した。
「海音。本当に、葉月に何もされてない?」
葉月さんの姿が見えなくなって、ようやく解放される。
飛鷹くんは、わたしの前に回り込み、覗き込む。
「……うん」
「じゃあ、一千万ってなんのこと?」
「葉月さんが、買ってくれた『サイテー』なわたしの値段」
「え?」
このひと月。
アパートを引き払って飛鷹くんの部屋に引っ越し、音無さんの戸籍に入るための手続きをしたり、征二さんのカフェを手伝い始めたりと、慌ただしく過ごしていた。
過去に囚われている時間は、なかった。
だから、不思議に思わなかったけれど……。
葉月さんがアパートに来た日以来、フラッシュバックに見舞われることがなくなっていた。
もしかしたら、あれはまったくの演技だったのかもしれないし、本気でわたしを買収しようとしていたのかもしれない。真相は、わからない。
でも、飛鷹くんから話を聞いて、飛鷹くんのために確かめようとしたのだろう。
飛鷹くんがくれるものの価値を、理解しているかどうか。
わたしが、十年前と同じことをするかどうか。
飛鷹くんが、好きだから――。
「……葉月さんって……いい人だね」
「は? 海音……騙されてるから。あいつは自分にとってメリットのないことは、しない。逆に、メリットがあると思えば、どんなことでもする。そういうヤツだよ」
「でも、友だちだよね? わたしのことを相談するくらい、仲がいい友だち」
「……海音、嫉妬してるの?」
「してない」
「本当に?」
心配そうに訊ねる飛鷹くんに、きっぱり頷いてみせた。
「してないよ。だって……知ってるから」
すぐに入籍しようとしなかったのは、音無さんとわたしが「親子」として過ごせるようにするため。
花嫁衣装は「和装」がいいと言い出したのは、京子ママが張りきって選んでくれるから。
さりげなく、結婚式が十一月にずれこむ日程にしたのは、お母さんが亡くなった月が、悲しい思い出だけにならないようにするため。
わたしが、学校の資料請求するのを黙って見て見ぬふりをしてくれるのは、わたしがどんな道を選んでも、傍にいると決めているから。
アメリカの本社を人に任せ、日本に支社を立ち上げることを決めたのは……。
手を伸ばし、目の前にいる飛鷹くんに、抱き着いた。
飛鷹くんも、わたしをぎゅっと抱きしめて……。
「何を知ってるの? 海音」
「……秘密」
『溺愛の価値、初恋の値段』 完