溺愛の価値、初恋の値段
この前と同じ、甘い残り香が鼻につく。
玄関先に取り残されたわたしは、のろのろと居間へ向かい、手にした封筒を開けた。
中には、帯封付きの札束が三つ入っていた。
初めて見る大金だ。
テーブルの上に置いた三つの札束をじっと見つめる。
この札束一つで、わたしとお母さんの一年分の食費を軽く上回るし、奨学金に頼らずとも高校の一年分の授業料を支払える。
お母さんが行きたいと言っていた南の島へ旅行することだって、できる。
お母さんに新しい服と新しい靴を買うことも、おしゃれなレストランでおいしいものを食べさせてあげることもできる。
エステやマッサージで疲れた体を癒してもらえる。
温泉にも行けるし、お母さんの好きなキャラクターがいるテーマパークへ行ってもいい。
映画館で一番大きなポップコーンを買って、お母さんの大好きな俳優が主役の映画を見てもいいし、お母さんの好きなアイスクリーム屋さんで、全メニューを頼んでみることもできる。
この、お金があれば……。
「海音」
はっとして顔を上げると、いつの間にか飛鷹くんがいた。
「それ、あの人から貰ったの?」
いままで聞いたことのない、冷ややかな声だった。
「……飛鷹くん」
「F県の女子校に行くんだって?」
「……どうして、知って……?」
「あの人とアパートの前で会った。全部、聞いた。俺が、S高じゃなく、あの人の望む高校を受験するよう説得する代わりに、三百万貰う約束だったんだろ?」
「ちが……」
「俺の値段は、三百万ってことか。安いのか、高いのか、わからない……中途半端な額だな」
飛鷹くんは強張った表情のまま、無理やり唇を歪めて笑う。
「ち、ちがうっ! そんなこと……」
「そんなに金がほしいなら、最初から正直に言えばよかったのに。勉強を教えるんじゃなく、オムライス代を払ったのに」
「い、いらないよっ! わたし、お金がほしかったわけじゃ……」
「じゃあ、なんで受け取ったんだよ?」
「お、お金があれば、できることがあって……お金がなかったら、なんにもできなくって……でもっ」
受け取ってはいけないとわかっていたはずなのに、一瞬でも欲しいと思ってしまった自分がうしろめたくて、口ごもる。
それが余計に飛鷹くんを苛立たせた。
「だから、金が欲しかったんだろ」
「ちがう」
「ちがわない」
「ちがうよっ! わたしはっ……」
飛鷹くんのお母さんが言ったことは、真っ赤な嘘だ。
でも、飛鷹くんはわたしの言葉を信じてはくれなかった。
「だったら、なんでこんなものが、ここにあるんだよっ! 」
一つ、二つ、三つ。
次々と壁に叩きつけたられた札束の封が破れ、飛び散った一万円札がひらひらと宙を舞う。
(失くしたら……返せなくなるっ!)
慌ててかき集めるわたしを見下ろして、飛鷹くんが呟いた。
「海音って……ほんと、サイテー」
その日、わたしは――
初恋を三百万円で売った。