溺愛の価値、初恋の値段

「こっち」


飛鷹くんがゴミ・その他を蹴散らして作った道を辿り、ロメオさんが出て来たのとは逆側にある部屋へ向かう。


「そっちの黒いドアから廊下に出られる。こっちの白いドアは、俺の部屋と繋がっているけど、気になるなら鍵かけて」


頑張って片付けたのか、元々使っていなかったのか。十畳ほどの部屋には大きなベッドとライティングデスク、ウォークインクローゼットがあるだけで、ゴミ一つ落ちていない。


「さっきの契約書にも書いてあったと思うけど、とりあえず、体調が良くなるまでは何もしなくていいから」

「えっと……」


契約書とは、さきほどの書類のことだろう。
まったく読んでいなかったわたしは、冷や汗が背筋を流れ落ちるのを感じた。


(わたし、何かすることになっているの……?)


「服とかは、羽柴さんだっけ? あの女医さんがとりあえず一週間分くらい用意してくれたの、クローゼットに入れてある。足りなければ、彼女が週末にアパートから持ってきてくれる。それまでは、ネットで注文して。俺のアカウント使っていいから。外出は、しばらく禁止。バスルームとトイレは廊下出てすぐのところ」


説明はこれで終わりとばかりに出て行こうとした飛鷹くんを慌てて引き止める。


「ひ、飛鷹くんっ……」

「なに?」

「さっきの書類なんだけど……」

「読んで、納得したんだよね?」

「…………」

「読んでないの?」

「…………ハイ」


飛鷹くんは「ふう」と大きく息を吐き「まあ、そうなるとわかっていたから、わざわざ面倒なの作ったんだけど」と呟いた。


「あの……?」

「簡単に説明すると、俺たちの会社が日本でビジネスの基盤を確立させるまで、ここに住んでほしい。理由は、さっきも言ったようにマスコミ避けのため。いまは、どんな小さなことでも拾われて、大げさに書き立てられる可能性が高いから。海音も、あることないこと書かれたくないよね? で、監禁と思われても困るから、体裁を整えておきたい。食事と住まいは無料で提供するから、掃除と洗濯、俺とロメオが在宅のときには、料理も作ってほしい。働いた分の報酬は支払うし、悪い話じゃないと思うけど」

「それって……住み込みの家政婦みたいなもの? でも、それならプロを雇ったほうがいいと思うんだけど……」


掃除洗濯は普通にできるけれど、料理となると……いまのわたしは、昔のように料理を作れる自信がない。

できないと言ってしまえばいいのだろうけれど、きっとどうしてそうなったのか、いつからなのか、問い詰められる。

そんなことになったら――。

飛鷹くんは、ためらうわたしに小さく溜息を吐いた。


「プロレベルは求めてないよ。知らない人間を家に入れるのは面倒。家でまで、外面維持したくないし」


失業中の身としては、報酬を貰えるのはありがたい。
それに、飛鷹くんの役に立てるなら、とても嬉しい。

でも、わたしが傍にいることを飛鷹くんが喜ぶとは思えない。




「……飛鷹くんは、いやじゃないの? わたしが……ここに居ても」




 恐る恐る問うわたしに、飛鷹くんはあっさり答えた。



「いやじゃないよ」



一度では足りないと思ったのか、飛鷹くんはわたしの目を見つめて、繰り返した。









「海音が傍にいても、いやじゃない」



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